キケロ|ローマ帝国を牛耳る政治家,雄弁家

キケロ

キケロ(Cicero)(前106ー前43)は、政治家・散文家・雄弁家である。主著は、『国家論』、『法律について』、『義務について』である。ローマ東南部の100キロほどの田舎町アルピヌスの出身であった。騎士出身で政治家としてカエサルやアントニウスと対立し、最後は暗殺された。ギリシア思想のローマへの普及に貢献し、その文体はラテン語散文の模範とされた。

目次

ローマへの移住

オまぁ、後のラティウム地方の騎士階級の家に生まれた。キケロが10歳の頃、家族はローマに移住する。当時の雄弁家らの従者として過ごし、ストア派の哲学、法律や修辞学を学んだ。17歳のころローマ軍に入隊した。

雄弁家

スカラエウォラのもとで法律を学び、法廷弁護士として名声を確立した。雄弁に優れ、法廷弁護士を足がかりに政治家になり、前63年には、執政官にのぼりつめた。

貴族カティリーナ

貴族カティリーナが国家転覆の陰謀をはかったが、これを未然に防いだ功績で、「祖国の父の」称号と栄誉を受け、以降、元老院や共和政の擁護者として軍人政治家のカエサル、そのあとを継いだアントニウスと対立する。

同盟市戦争

イタリア内部における反ローマの機運は高まり、ローマ市民権を求めて同盟市戦争が起った。元老院は譲歩し、同盟しにローマ市民権と同等の権利を託した。前88年イタリア半島に住む自由人のすべてにローマの市民権を認めた。

三頭政治

ローマでは指導力を発揮したが、カエサルらの三頭政治にはいると、AD58年、国外に追放される事態に陥る。翌年帰国したが、政治活動は制限され、哲学的著作に注力する。なお、カエサルのガリア戦記に従軍している。このことは

カエサル暗殺

カエサルとポンペイウスとの対立が起ると、ポンペイウスについたが、カエサルが勝利するとポンペイウスについた。カエサルが暗殺されると、再び政治力を握り、元老院で活躍するが、アントニウスと対立。最後は奴隷に裏切られて殺害される。

『国家論』

『国家論』はキケロの作表作である。プラトンの『国家』の対話論を模範として第三次ポエニ戦争で活躍した小スキピオを中心に行われた対話方式で書かれている。


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