アウグストゥス(オクタウィアヌス)|帝政ローマの始まり

アウグストゥス

アウグストゥス(オクタウィアヌス)はカエサルの後を継ぎ、40年以上の統治期間、皇帝として君臨する。大衆や民会、元老院の話に耳を傾けた政治姿勢は、元首政と呼ばれる。カエサル・アウグストゥス(オクタウィアヌス)をきっかけにローマは共和政を終わらせ、帝政が始まる。

アウグストゥス

アウグストゥス

第二次三頭政治

カエサルの養子であるオクタウィアヌスは、カエサル派の将軍アントニウス、カエサル派のレピドゥスと前43年、三頭政治を樹立する。前36年、レピドゥスが冷遇され失脚した。他方、東方に遠征したアントニウスはプトレマイオス朝の女王クレオパトラと結び、ヘレニズム的専制君主としてローマに君臨しようとした。

古代エジプトの制圧

古代エジプトに近づくアントニウスに対して、オクタウィアヌスは、元老院を取り組むことによって権力を持つ。前31年、アクティウムの海戦で、アントニウス・クレオパトラ連合軍を破り、古代エジプトは消滅、全地中海世界を統一した。

オクタウィアヌス

ローマの平和と秩序を回復したオクタウィアヌスは、非常時のため、ゆだねられていたローマ帝国大権を自発的に国家に返還する姿勢を示した。しかし、すでに現実に対処する能力を失っていた元老院は、オクタウィアヌスに最高軍司令官の称号を与え、半分の属州の総督命令権をも与えた。

アウグストゥス

前27年、元老院からアウグストゥス(尊厳者)という神聖な意味をもつ称号を付与された。オクタウィアヌスは「インペラートル=カエサル=アウグストゥス、神の子」と名のり、共和政期の最高の政務官職のほとんどを、一部はその職権のかたちで手中におさめ、軍事・行政・司法の全分野において国政をひきうけ、属州からの税収をみずからのものとした。

帝国

アウグストゥス(オクタウィアヌス)がすべての権利を手中に収め、以降、共和政は完全に終わり、帝政がとられるようになる。アウグストゥス(オクタウィアヌス)は外面的には共和政を尊重し、独裁官とはならず、君主や王の称号も求めなかった。アウグストゥス(オクタウィアヌス)は、護民官の職権を前面に掲げ、平民の権利を守るイメージ戦略を進めた。

余は権威において万人にまさったが、職権においては同僚官のだれもしのぎはしなかった。

元首政(プリンキパトゥスprincipatus)

アウグストゥス(オクタウィアヌス)は、自らを「第一人者(プリンケプス)」と名乗り、民会には選挙や立法をおこなわせ、元老院にも出席して耳を傾けた。このように共和政期の諸機関や地方自治機関をそのまま存続させて共和政の伝統を尊重したが、事実上は彼の独裁君主政であった。このアウグストゥス(オクタウィアヌス)の支配体制を元首政(principatus)または前期帝政と呼ぶ。

官僚組織の整備

新しい帝国的組織の確立を必要としたアウグストゥス(オクタウィアヌス)は、エジプトなどの属州を直轄領とし、その財力をもって皇帝直属の傭兵軍を編成し、官僚組織を整備した。

属州

アウグストゥス(オクタウィアヌス)は平和政策を進めて軍隊を整理し、他民族(ゲルマン人)も軍隊に入ると市民権を与えるようにし、軍隊の地盤を行った。さらに属州における徴税請負制を廃止、公正な税額を査定し、その税の多くを属州の福祉に使うようにした。

パクスローマナ

後9年のトイトブルク森の戦いで、ゲルマンがローマ軍を破ったため、ローマはゲルマニア経営を断念、ドナウ・ライン川を国境に定めた。こののち、対外的には守勢に転じ、東はユーフラテス、西は大西洋、北はドナウ・ライン、南はサハラ砂漠にいたるすでに成立していた境界を維持することを主眼とした。ローマ帝国は、地中海世界を楽しみ、ローマの平和(PaxRomana)と呼ばれる時代を築いた。

パンとサーカス

アウグストゥス(オクタウィアヌス)は、ローマ市の美化に努め、市民に金品や穀物を与え、豪華な娯楽も催して市民の人気に耳を傾けた。

死後

アウグストゥス(オクタウィアヌス)の元首の地位は養子のティベリウス(位14~37)にうけつがれ、共和政は2度と復活しなかった。