第二次三頭政治

第二次三頭政治

第二次三頭政治とは、前43年、アントニウス・オクタウィアヌス・レピドゥスが共和派に対抗して行った政治同盟である。勢力範囲の分担は、アントニウスがヘレニズム地域、オクタウィアヌスが西方全域、レピドゥスがエジプトを除くアフリカ北岸とした。レピドゥスが失脚、オクタウィアヌスはアントニウス・クレオパトラの連合軍を撃破することでローマ帝国は地中海全域を抑えた。

目次

アントニウス

アントニウス(前82~前30)はカエサル派の部将である。人気のあったカエサルを神格化することで権力を握り、ブルータスを追い出した。第2次三頭政治でエジプトに赴き、その女王クレオパトラと結び、オクタウィアヌスと対立した。アクティウムの海戦に敗れて自殺した。

オクタウィアヌス

オクタウィアヌス(前63~後14)はカエサルの養子で当時は19才であった。第2回三頭政治の一角をなしたが、しだいにアントニウスと対立した。前31年のアクティウムの海戦に勝利し、前30年エジプトを併合して、地中海の全域を収める。前27年、元老院からアウグストゥスの称号を受け、皇帝の地位についた。

レピドゥス

レピドゥス(?~前13頃)はカエサル派の部将で第2次三頭政治に参加したものの、前36年、冷遇して失脚することになる

カエサルの死

皇帝として君臨したカエサルの死後、カエサル派の将軍であったアントニウスはカエサルを神格化し、暗殺したブルータスらを追放した。

レピドゥスの失脚

前36年、レピドゥスが冷遇され失脚した。

アントニウスとクレオパトラ連合

東方に遠征したアントニウスはプトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラ(前69~前30)と協約を結び、ヘレニズム的専制君主としてローマに君臨しようとした。

オクタウィアヌスと元老院

オクタウィアヌスは、アントニウスがエジプトに近づいたことに危機感を覚える一方で、共和政の伝統に従い、元老院を尊重する態度をとってローマで求心力を強めた。

オクタウィアヌスの勝利

第二次三頭政治は安定を保てず、内乱状態に陥る。やがてオクタウィアヌスが、アントニウス・エジプト女王クレオパトラとの連合軍と軍事衝突する。
オクタウィアヌスは、イタリアと西方属州から忠誠の誓いを戦いをいどみ、前31年、アクティウムの海戦でアントニウスを破り、翌年、アントニウスは自殺に追い込まれた。

アクティウムの海戦

ギリシア西北海岸沖で、オクタウィアヌスがアントニウス・クレオパトラの連合軍を撃破した戦いである。この戦いでヘレニズム諸国最後のエジプト王国を滅ぼし、ローマの地中海制覇が成し遂げられた。

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