露清密約|ロシアの満洲進出を裏で合意

露清密約

露清密約とは、日清戦争後の東アジア国際関係の中で、ロシア帝国と清朝とのあいだに結ばれた秘密条約である。形式上は対日防衛を名目とする軍事同盟であったが、実際にはロシアが清朝の弱体化につけ込み、満州における権益と軍事的プレゼンスを拡大するための政治的・外交的装置であった。露清密約によってロシアは満州を横断する鉄道敷設権と、必要に応じた軍隊派遣の承認を獲得し、その後の東清鉄道建設や旅順・大連の租借、さらには中国分割の危機の進行に決定的な影響を与えた条約として位置づけられる。

成立の背景

露清密約の背景には、清朝が日清戦争(1894〜1895年)に敗北し、朝鮮の宗主権喪失や遼東半島割譲など大きな譲歩を強いられたことがある。その直後、ロシア・ドイツ・フランスは日本に対し、遼東半島返還を勧告する三国干渉を行い、日本はやむなく遼東半島を返還した。清朝はこの介入によって一時的に領土回復に成功したものの、その代償としてロシアへの政治的依存を深めることになった。列強が中国各地で勢力範囲を広げるなか、清朝は東アジアで急速に台頭する日本への対抗を意識し、伝統的な自立外交を放棄してでもロシアとの接近を選択したのである。

締結交渉と条約の内容

露清密約は、1896年にロシア皇帝ニコライ2世の戴冠式に出席した李鴻章とロシア外相ロバノフらとの交渉を通じて成立したとされる。表向きは条約名をもたない秘密協定であり、公布もされなかったため、内容は後世の研究によって復元されている。中心となるのは、①日本が清朝を攻撃した場合、ロシアが軍事的援助を行うとする相互防衛条項、②ロシアがシベリア鉄道を延長し、清領満州内に鉄道(のちの東清鉄道)を建設する権利を得る条項、③鉄道防衛を名目としてロシア軍が満州に駐屯することを認める条項である。これらの取り決めは、清朝にとっては対日の安全保障を期待させる一方で、実際には満州をロシアの影響下に組み込み、将来的な占領を容易にする仕組みとなっていた。

  • 対日戦争が再発した際の、ロシア軍による支援の約束
  • 満州を横断する鉄道敷設および運営権のロシアへの付与
  • 鉄道沿線の警備名目によるロシア軍の出兵・駐屯の承認
  • 清朝が他列強に対し、ロシアの利害を損なう譲歩を行わないという黙示の義務

ロシアの南下政策と満州支配の進展

露清密約は、北から太平洋へ進出しようとするロシアの南下政策と密接に結びついていた。シベリア鉄道の建設で東西を結んだロシアは、その最東端を不凍港に近づける必要から、満州を経由して遼東半島方面へ鉄道を延長しようとしたのである。密約に基づく権利を足がかりとして、ロシアは1898年に遼東半島南部を租借し、旅順・大連を軍港・商港として整備した。これによってロシアの満州支配は事実上の占領状態に近づき、列強による中国分割の危機が一層深まることになった。他方で、ロシアの急激な進出は日本やイギリスなどの警戒を呼び起こし、のちの日露戦争の遠因となっていく。

清朝と列強関係への影響

露清密約は、清朝が列強の一国に安全保障を委ねることで自立性を失い、東アジア国際秩序が「勢力圏」をめぐる駆け引きへと傾斜していく転機であった。ロシアが満州に特権的地位を得たことは、ドイツによる山東半島進出やイギリス・フランスの租借地獲得を誘発し、中国各地に半植民地状況を広げた。その一方で、ロシアの存在は清朝内部の保守派や民族主義勢力の不満を高め、最終的に義和団事件などの排外運動を引き起こす素地ともなった。こうした動きは、近代アジアにおける植民地支配への抵抗や改革を扱うアジアの改革と民族運動の文脈のなかでも重要な位置を占める。

日本・イギリスとの対立とその後

露清密約がもたらしたロシアの満州進出は、日本とイギリスにとって脅威であった。日本は、朝鮮半島と満州がロシアの勢力圏に組み込まれることを安全保障上の死活問題とみなし、イギリスもまたインド防衛と中国市場確保の観点からロシアを警戒した。この危機感の共有が日英同盟の締結につながり、さらに列強間の勢力均衡を模索するなかで英露協商などの合意を呼び込むことになる。結果として、露清密約は単なる両国間の秘密協定にとどまらず、東アジアから世界規模の国際政治構造へと波及する一連の連鎖の出発点として理解されるべき存在である。