陽イオン|電子を失い正電荷を帯びた原子・分子

陽イオン

陽イオンとは、原子や原子団が電子を失い、正の電荷を帯びた粒子である。英語ではカチオン(cation)と呼ばれ、ナトリウムイオンNa+、カルシウムイオンCa2+、アンモニウムイオンNH4+などが代表例となる。負の電荷をもつ陰イオンと対をなす概念で、水溶液中の化学反応、金属の電析、水処理、二次電池など、工業の幅広い領域で中心的な役割を担っている。

名称の由来とファラデーの電気分解研究

「カチオン」という言葉は、1834年にマイケル・ファラデーが電気分解の研究を発表した際に導入した用語である。命名には博物学者ウィリアム・ヒューウェルが協力し、ギリシャ語で「下へ行くもの」を意味する語が採られた。電解液中で陰極(カソード)へ向かって移動する粒子という意味合いである。当時はまだ電子の存在が知られておらず、粒子が電荷を帯びる仕組みは未解明のままであった。1887年にスヴァンテ・アレニウスが電離説を提唱し、塩が水に溶けると自発的にイオンへ解離するという理解が定着して、ようやく現在の概念に近づいた。

電子を失う仕組みとイオン化エネルギー

原子が陽イオンになるには、最外殻の電子を引き離すためのエネルギーが必要となる。この値をイオン化エネルギーと呼ぶ。ナトリウムの第一イオン化エネルギーは約496 kJ/molと小さく、Na → Na+ + e− の反応が比較的起こりやすい。アルカリ金属やアルカリ土類金属が陽イオンになりやすいのは、電子を放出すると貴ガスと同じ安定な電子配置になるためである。反対に、フッ素や酸素のように電気陰性度の大きい元素は電子を受け取る側に回る。

遷移金属は少し事情が異なる。鉄はFe2+とFe3+の両方をとり、銅もCu+とCu2+をとるように、複数の価数を示すことが多い。どの価数が安定かは溶液のpHや酸化還元電位で変わる。

単原子イオンと多原子イオン

分類としては、1個の原子からなる単原子イオンと、複数の原子が結合した多原子イオンに大別される。後者にはアンモニウムイオンやオキソニウムイオンH3O+が含まれる。金属イオンに配位子が結合した錯イオン、たとえばテトラアンミン銅(II)イオン[Cu(NH3)4]2+も陽イオンの一種として扱われる。主な単原子陽イオンの価数と大きさを下表に示す(イオン半径は6配位時のShannonの値)。

イオン 価数 イオン半径(pm) 工業上の主な関わり
Li+ 1 76 リチウムイオン電池の電荷担体
Na+ 1 102 食塩電解、軟水化の交換イオン
K+ 1 138 肥料、強化ガラスのイオン交換
Mg2+ 2 72 水の硬度成分
Ca2+ 2 100 ボイラースケールの原因
Al3+ 3 53.5 凝集剤(PAC)の有効成分
Cu2+ 2 73 硫酸銅めっき浴

水中でのふるまいと水和

水に溶けた陽イオンは、水分子の酸素原子側に取り囲まれて水和イオンとなる。イオン半径が小さく電荷が大きいほど水和は強い。Li+は裸のイオンとしては小さいものの、厚い水和殻をまとうため、水中での移動度はK+より低くなる。直感に反する現象として知られている。

水素イオンは特別な存在である。25 ℃における極限モル伝導率はH+が349.8 S·cm2/molで、Na+の50.1 S·cm2/molのおよそ7倍に達する。水分子間で水素結合をリレーのように組み替えて電荷を運ぶグロッタス機構によるもので、酸性溶液の電気伝導度が高い理由もここにある。

めっき工程における金属陽イオンの管理

電気めっきは、浴中の金属陽イオンを陰極上で還元して金属皮膜を析出させる技術である。析出量はファラデーの法則に従い、次式で求められる。

m = (M × I × t) ÷ (z × F)
(m:析出質量 [g]、M:モル質量 [g/mol]、I:電流 [A]、t:時間 [s]、z:イオンの価数、F:ファラデー定数 96485 C/mol)

現場の代表例であるワット浴のニッケルめっきでは、硫酸ニッケル240〜300 g/L、塩化ニッケル約45 g/L、ホウ酸30〜40 g/Lを用い、pH 4〜5、温度45〜60 ℃で運転するのが一般的である。実務で厄介なのは、陽極の溶解効率と陰極の析出効率がそろわず、Ni2+濃度が少しずつずれていくことである。そのため多くの工場では、週1回程度の滴定分析で濃度を確認し、補給量を決めている。浴に銅や亜鉛などの不純物陽イオンが数十mg/L混じるだけで、低電流密度部が黒ずむことがある。弱電解(ダミー電解)で取り除くのが定石で、浴を全量更新するより費用を大幅に抑えられる。

水処理とイオン交換樹脂

ボイラー給水や冷却水では、硬水に含まれるCa2+やMg2+が加熱面にスケールとして析出し、熱効率を落とす。対策として、スルホン酸基をもつ強酸性陽イオン交換樹脂でこれらをNa+やH+と置き換える方法が広く採られている。水質の評価には、JIS K 0101(工業用水試験方法)やJIS K 0102(工場排水試験方法)が用いられる。

半導体工場や医薬品工場で使う超純水では、比抵抗18.2 MΩ·cm(25 ℃)近くまで陽イオンを除去する。イオン交換樹脂は飽和すると塩酸や硫酸で再生する必要があり、薬品費と廃液処理費が運転コストの大部分を占める。このため近年は、電気で連続再生するEDI(電気式脱イオン)装置へ切り替える工場が増えた。導入費は高いものの、再生薬品の受け入れや貯槽管理が不要になる利点が評価されている。

強化ガラスでの応用

スマートフォンのカバーガラスなどでは、約400 ℃の硝酸カリウム溶融塩にガラスを浸し、表層のNa+を大きなK+と交換する化学強化が行われる。半径の差によって表面に圧縮応力が生じ、割れにくくなる。

電池材料としての陽イオン

リチウムイオン電池は、Li+が正極と負極のあいだを電解液を通して行き来することで充放電する。リチウムが選ばれた理由は、標準電極電位が−3.04 Vと全元素の中で最も卑であり、軽量でもあるためである。資源価格の変動を背景に、Na+を使うナトリウムイオン電池の量産も2020年代に始まった。Na+はLi+より大きいため、負極には黒鉛ではなくハードカーボンが使われることが多い。Mg2+やZn2+のような多価陽イオンを用いる電池の研究も進んでおり、1個のイオンで複数の電子を運べる点が注目されている。

陽イオンの分析方法

溶液中の陽イオンを定量するには、目的と濃度域に応じて手法を使い分ける。製造現場や分析機関でよく用いられる方法は次のとおりである。

  • イオンクロマトグラフィー:Na+、K+、NH4+などを一斉に分析できる。JIS K 0127に通則がある
  • ICP発光分光分析:多元素を同時に測定でき、めっき浴の不純物管理に向く。JIS K 0116に通則がある
  • 原子吸光分析:装置が比較的安価で、特定金属の定量に使われる
  • キレート滴定:EDTAを用いて硬度やNi2+濃度を求める、現場向けの簡便な方法

ppbレベルの微量分析では、ICP質量分析(ICP-MS)が選ばれる。数µg/Lのめっき浴管理であればキレート滴定で十分なことも多く、分析の外注費を抑えたい中小のめっき工場では、まず滴定で日常管理を行い、月1回程度ICP分析を外部に依頼する運用が見られる。古典的な定性分析では、陽イオンを第1属から第6属に分け、沈殿反応で順に分離する系統分析が教育の場で今も教えられている。

コメント(β版)