老子|孔子を批判し、無為自然を説いた諸子百家

老子  ろうし

老子(前5C後半)。諸子百家の一人。主著『老子』。道家の開祖。老耼(ろうたん)が作者と言われているが、時代によって追記されたこともわかっており、その実在は未だにはっきりしていない。存在しないという説もある。老子の思想の特色は道思想であり、宇宙の根源を道とし、万物を生み育てる宇宙の根源であり、おのずからなる自然の働きであるとした。この道に基づいたありのままの生き方を勧める一方で作為的な道徳や文化を強く否定した。富や権威を追求するのではなく自給自足の素朴な暮らしに満足することが理想の生活とされた。

道とは、宇宙の本体にして宇宙生成の根源であるとした。自然現象を成立させるとともに育み主宰する「天下の母」である。無為と自然を属性とする究極的な存在で、道そのものは、それをとらえて言葉で規定することのできない無(無名)である。「物有り混成す。天地に先立ちて生ず」と天地が生ずる以前から存在していたとされる。さらに道は「帝の先に象す」と中国全土の人々が万物の創造主と崇める上帝にさえ先行して存在したとされる。道は、宇宙の始原、万物の生成者であるとともに、その後も自分が生み出した森羅万象の有象世界を制御し、支配し続ける主宰者であるとされる。

孔子の道と老子の道の違い

孔子の道は形而下の人倫の道であった。いわゆる道徳や倫理の中で語られ、実践的なものをいう。老子は、形而上の人倫を超えたものを道としている。宇宙の生成の根源であり、自然現象を生み出すものである。形而上学といえ、諸子百家の中では異色で西洋哲学に近いと考えられる。老子は、大道廃れて仁義あり、と述べ、本来の道を示すとともに、儒家の説く道があくまでも人為的で相対的なものに過ぎないとした。老子は、儒家の説く道は、あるがままの白然の道が廃れ、仁義などの道徳が説かれるようになり、それがさらに人間の本来あるべき、自然的なあり方を失わせると主張した。

道の道う可きは、常の道に非ず。
名の名づく可きは、常の名に非ず。
名無きは、天地の始めにして、名有は、万物の母なり。
故に「常に欲無きもの、以て其の妙を観、常に欲有るもの、以て其の徼を観る」。
此の者は、同じきより出でたるも而も名を異にす。
同じきものは之を玄と謂う。玄の又玄、衆妙の門なり。

「道」が語りうるものであれば、それは不変の「道」ではない。
「名」が名づけうるものであれば、それは不変の「名」ではない。
天と地が出現したのは「無名」(名づけえないもの)からであった。
「有名」(名づけうるもの)は、万物の(それぞれを育てる)母にすぎない。
まことに「永久に欲望から解放されているもののみが『妙』(かくされた本質)をみることができ、決して欲望から解放されないものは、『徼』(その結果)だけしかみることができない」のだ。
この二つは同じもの(雜型)から出てくるが、それにもかかわらず名を異にする。
この同じものを、(われわれは)「玄」(神秘)とよぶ。
(いやむしろ)「玄」よりもいっそう見えにくいもの(というべきであろう。それは)、あらゆる「妙」が出てくる門である。

無為自然

作為を排し道に従った生き方が理想の生き方である。統治者が、名誉や権威、富、ましてや戦争の成果を誇示しようとすれば、民衆の支持を失って、その地位から引きずり降ろされかねない。「貴富にして奢らば、自ら咎を残す」とか「自らほこる者はひさしからず」と説く。従い「我は無為にして民は自ら化し、我は静を好みて民は自ら正しく、我は無事にして民は自ら富む。」とした。このように儒家の人倫の「道」とはまったく違うものである。

  • 無為:小賢しい知恵を捨て人為的努力をやめて無作為になる
  • 自然:おのずからそうなる。道と一体となる時、大いなる摂理がはたらき、秩序が実現される。

無欲恬淡・柔弱謙下

柔弱謙下とは、無為自然に基づく生き方で、常に謙虚に人の下手に出て争わない態度のことで、老子は水のような生き方が理想と説いた。「上善は水の若し」 といい、善は水のようなもので、水が万物に恵を施しながら争わず、目立たない低いところにいて満足することに似ている。水は陽気にあわせて姿を変えるが、いざとなれば岩すらも砕く。「天下に水より柔弱は剛強に勝つ」と述べ、策を弄して他者と争うことをせず、無為自然に従い柔軟な生き方を目指すことが大切である。

天下に水より柔弱なるは莫し。而も堅強なる者を攻むるに、之に能く勝つこと莫し。
其の以て之に易うる無きを以てなり。弱の強に勝ち、柔の剛に勝つこと、天下知らざるは莫して、能く行なうこと莫し。

天下において、水ほど柔らかくしなやかなものはない。
しかし、それが堅く手ごわいものを攻撃すると、それに勝てるものはない。ほかにその代わりになるものがないからである。
しなやかなものが手ごわいものを負かし、柔らかいものが堅いものを負かすことは、すべての人が知っていることであるが、これを実行できる人はいない。

小国寡民

他国との交流もなく人民も少ない、素朴な自給自足的小社会が理想国家である。質素な暮らしに満足すれば、人々は隣の国と争うこともなく、人生を平和に全うできる。これも道に任せて生きるという老子の思想が現れている人民が争わないようにするには、小賢しい知恵を捨てて、素朴に帰ることであるとして、社会秩序を重んじる儒家や当時の王たちを批判した。

小国寡民には、什伯の器有りて而も用いざらしめ、民をして死を重んじて而うして遠く徙(うつ)らざらしめば、舟輿有りと雖も、之れに乗る所無く、甲兵有りと雖も、之を陳ぬる所なし。人をして復縄を結びて而してこれを用いしめ、其の食を甘しとし、その服を美とし、その居に安んじ、其の俗を楽しましむ。隣国相望み、鶏犬の声相聞こえて、民は老死に至るまで、相往来せず。

国は小さく住民は少ないとしよう。軍隊に要する道具はあったとしても使わせないようにし、人民に生命を大事にさせ、遠くへ移住することがないようにさせるならば、船や車はあったところで、それに乗るまでもなく、甲や武器があったところで、それらを並べて見せる機会もない。もう一度、人びとが結んだ縄を契約に用いる。太古の世と同じくし、かれらのまずい食物をうまいと思わせ、そまつな衣服を心地よく感じさせ、せまいすまいにおちつかせ、素朴な習慣の生活を楽しくすごすようにさせる。
そうなれば、隣の国はすぐ見えるところにあって、鶏や犬の鳴く声が聞こえるほどであっても、人民は老いて死ぬまで、他国の人と互いに行き来することもないであろう。

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