漢氏
漢氏は、古代日本の氏族(うじ)のうち、大陸系の系譜を称した渡来系集団として知られる一族である。ヤマト王権の形成と拡大が進んだ古墳時代から飛鳥時代にかけて、文書作成や技術生産に関与し、王権の制度化を支える人的基盤の一角を担ったと位置づけられる。伝承では中国の漢に連なる出自が語られるが、実態としては朝鮮半島を含む東アジア世界との往来の中で編成された人々が、ヤマトの政治社会に「氏」として組み込まれていった過程を示す存在である。
起源と渡来の伝承
漢氏の由来は、漢王朝の系統や「漢人(からひと)」の名に結びつけて語られることが多い。古代の系譜叙述では、渡来の祖として阿知使主(あちのおみ)が挙げられ、ある時期に多数の随伴者や工人を率いて来たという形で説明される。こうした物語は、特定の渡来集団が一度に移住したというより、複数の来着者が時間をかけて集住し、王権がそれを統合していく過程を後世に整序した性格が強い。王権側にとっては、外来の学術・技術・言語に通じた人々を組織化することが政治的利点となり、氏の成立はその制度的表現であった。
氏姓と組織
漢氏が古代国家の枠内で位置づけられる際、重要となるのが氏と姓(かばね)である。氏は血縁的結合を装いながらも、実務上は職能・居住・奉仕関係を束ねる統合単位として機能した。氏姓制度のもとで、彼らは朝廷に奉仕する集団として編成され、文書行政や技術生産を担う人員を供給したと考えられる。記録上、同名の氏が複数系統に分かれて現れる点は、渡来集団の内部が一枚岩ではなく、王権による再編や分掌が繰り返されたことをうかがわせる。
- 渡来系集団を氏として固定し、王権のもとへ動員する枠組みを与えた
- 系譜を整え、奉仕の正当性や格式を示す手段として機能した
- 地域社会に根を下ろしつつ、中央への奉仕で地位を確保した
朝廷での役割
漢氏が評価された背景には、文字文化と実務能力がある。ヤマト王権が対外関係を取り結び、国内統治を精密化していくにつれて、記録・命令・帳簿といった文書処理の重要性は増大した。大陸の文物に通じた人々は、通訳・書記・技術者として重用され、大和朝廷の統治装置を下支えした。伝承上、応神天皇の時代に渡来人が招かれたという語りが付されることも多いが、これは王権が外来要素を積極的に取り込み、政治的資源として活用したという記憶の表現である。
東漢氏と西漢氏
分立の意味
漢氏は史料上、東漢氏・西漢氏などの呼称で語られることがある。これらは単なる地理的区分にとどまらず、奉仕先や居住基盤、内部の系譜整理の結果として生じた可能性がある。王権のもとでは、同系統の集団でも役割が多岐にわたり、拠点の違いが行政的な分掌と結びついて「別氏」のように表現されやすかった。
地域社会との関係
漢氏の拠点は畿内を中心に想定され、交通や生産に適した地域で集住したとみられる。彼らは中央への奉仕と地域での生業を両立させ、工人・書記・官人としての技能を媒介に地位を得た。こうしたあり方は、渡来系氏族が単に外来文化の担い手であるだけでなく、地域社会の編成にも深く関与したことを示している。
史料にみえる人物と政治過程
漢氏に属する人名は、直(あたい)などの姓を伴って散見される。個別の人物像は断片的であるが、彼らが中央の有力氏族と結び、政争や制度整備の局面で動いたことは想像に難くない。とりわけ蘇我氏が台頭し、仏教受容や行政制度の整備が進む段階では、文書・外交・技術に携わる人材の需要が高まった。渡来系氏族の人員がこの需要に応えたことは、古代国家形成の現実的な側面であり、系譜伝承の背後にある社会的機能として重視される。
関連氏族との連関
漢氏は同じく渡来系として語られる秦氏などと並び、古代日本における外来系集団の代表格として扱われる。これらの氏族は互いに競合する「選択肢」ではなく、王権が必要とした多様な職能を分担しながら、制度化の進展に応じて再編成された存在である。渡来人の活動をめぐる議論は、出自をどこに求めるか以上に、彼らがヤマトの政治社会にどのように組み込まれ、何を担ったのかという点に核心がある。漢氏を手がかりに見ると、古代国家は血縁や地縁だけでなく、技能と奉仕関係を媒介に人々を束ね、統治の仕組みを作り上げていったことが理解しやすくなる。