東南アジアでの民族運動の展開
東南アジアでの民族運動の展開は、19世紀末から20世紀前半にかけての欧米列強による植民地支配に対する抵抗として始まり、やがて近代的な国民国家建設をめざす運動へと成長した過程である。オランダ領東インドとして支配されたインドネシア、フランス領インドシナとして再編されたベトナム、イギリスの支配下に置かれたビルマやマラヤ、アメリカの影響を受けたフィリピンなど、地域ごとに条件は異なるが、西洋的な教育・経済構造・政治制度との出会いを通じて民族意識とナショナリズムが形成されていった。
植民地支配と民族意識の形成
19世紀後半、欧米列強は軍事力と不平等条約を背景に東南アジアを勢力圏に組み込み、資源供給地・市場として再編した。オランダはプランテーション経営を拡大し、フランスはインドシナ連邦を組織し、イギリスはミャンマーに相当するビルマやマラヤを併合した。一方、シャム王国は列強の緩衝地帯として独立を保ち、近代化改革を進めた現在のタイである。こうした支配は、先住支配層の権限を奪うと同時に、近代教育や行政制度を通じて新たな知識人層を生み出し、彼らが「民族」という単位で社会を捉え直す契機となった。
ナショナリズムの高揚と運動の共通要因
東南アジア諸地域の民族運動は、同時期のインドや中国とも呼応しながら展開したが、その背景にはいくつかの共通要因があった。植民地官僚制や大土地所有制に対する農民の不満、西洋式学校で学んだエリートの政治的フラストレーション、そして宗教共同体の危機意識である。これら要因は次のような形で運動を生み出した。
- 新聞・雑誌・出版物の発達による「想像の共同体」としての国民意識の形成
- 都市部での労働者層の増大とストライキ・デモの頻発
- イスラームや仏教の改革運動と民族主義思想の結びつき
- 第一次世界大戦後の民族自決の潮流とロシア革命の衝撃
ベトナムにおける民族運動
ベトナムでは、フランスの直接支配の下で早くから反仏運動が現れた。20世紀初頭、ファン・ボイ・チャウらによる「東遊運動」は日本への留学を通じて独立の指導者育成をめざしたが、挫折した。その後、立憲主義的改革を求める潮流と武装蜂起を志向する潮流が分かれ、1920年代にはベトナム国民党とインドシナ共産党が台頭する。特にホー・チ・ミンが指導したインドシナ共産党は、農村部の貧農を組織し、階級闘争と民族解放を結びつける路線を打ち出した点に特色があった。
インドネシア民族運動の展開
オランダ領東インドのインドネシアでは、1908年のブディ・ウトモ結成が近代的民族運動の端緒とされる。続くサレカット・イスラームは、イスラーム商人や農民を広く組織し、宗教的結束と反植民地感情を背景に大衆運動へ発展した。1927年にはスカルノらによるインドネシア国民党が成立し、「インドネシア民族」を単一の政治的主体とみなす近代ナショナリズムを掲げた。彼らは議会内活動と大衆動員を併用しつつ、植民地当局の弾圧を受けて逮捕・流刑に遭い、運動は地下化したが、組織と理念はその後の独立闘争の核となった。
ビルマ・タイ・フィリピンの民族運動
イギリス支配下のビルマでは、僧侶を中心とする仏教運動と学生運動が結びつき、やがて「タキン党」などの近代政党が登場した。アウンサンら若い指導者は、社会主義思想や反帝国主義を取り入れつつ、ビルマ人による独立国家建設をめざした。独立を維持したタイでは、1932年の立憲革命によって絶対王政が終わり、軍人・官僚を中心とする立憲体制が成立したが、その背景には列強と対等な国家を志向するナショナリズムがあった。アメリカ支配下のフィリピンでは、19世紀末の独立戦争を経て、20世紀前半には自治拡大を求める政治闘争が続き、1930年代のコモンウェルス体制を経て完全独立への道筋が描かれた。
宗教・文化運動と民衆の動員
東南アジアの民族運動では、宗教と文化が重要な役割を果たした。イスラームはマラヤやインドネシアで共同体意識を高める基盤となり、イスラーム指導者が民族主義の担い手となった。仏教はビルマやタイで民族アイデンティティと結びつき、僧院ネットワークが情報伝達と動員の場となった。また、民族語による新聞や小説、演劇は、農民や都市労働者に「国民」意識を広める手段となり、知識人だけでなく広範な民衆が運動へ参加する土台を作った。
第一次世界大戦と国際環境の変化
第一次世界大戦は、欧米列強の権威に揺らぎをもたらし、民族自決という理念を広めた。ウィルソンの民族自決原則はアジアには十分適用されなかったが、その言葉そのものが支配の不当性を告発する武器となった。また、ロシア革命の成功は、植民地支配を打倒して新しい社会を築くというビジョンとして、東南アジアの知識人・労働運動に大きな影響を与えた。こうして民族運動は、立憲改革を求める穏健な路線と、社会革命を志向する急進的路線とに分化しつつも、いずれも植民地支配の否定という点で共通していた。
第二次世界大戦と独立への加速
第二次世界大戦は、東南アジアの民族運動に決定的な転機を与えた。欧米列強が戦争で疲弊し、日本軍が東南アジアを占領すると、「アジア解放」を掲げる宣伝は各地の民族運動に期待と警戒を同時にもたらした。日本占領下で一部指導者は協力政権を担い軍事訓練を受け、他方で反日・反植民地の地下活動も続いた。1945年前後には、スカルノ・ハッタによるインドネシア独立宣言、ホー・チ・ミンによるベトナム民主共和国樹立宣言、ビルマやフィリピンの独立準備など、戦前からの民族運動が一挙に独立要求として噴出した。
独立達成とその後の課題
戦後、東南アジア諸国は武装闘争や交渉を通じて段階的に独立を達成したが、その過程では旧宗主国との再戦や内戦も生じた。インドシナ戦争やインドネシア独立戦争はその典型であり、民族運動が同時に社会改革や国家統合をめぐる内部対立を抱え込んでいたことを示している。さらに、独立後の国家形成は、民族・宗教の多様性と冷戦下の国際秩序の影響を強く受けた。東南アジアでの民族運動は、単に植民地支配からの離脱ではなく、多民族社会における「国民」の定義と、外部勢力がせめぎ合う中で自立した国家を構想する試みであった点に、その歴史的意義が認められるのである。