日本の韓国併合|大韓帝国併合と植民地支配

日本の韓国併合

日本の韓国併合とは、1910年に大韓帝国を条約によって日本帝国に編入し、朝鮮半島全域を日本の植民地支配下においた出来事である。1894年の日清戦争と1904~1905年の日露戦争を経て朝鮮半島への影響力を拡大させてきた日本は、1905年の第2次日韓協約で韓国の外交権を奪い保護国化し、1910年の「韓国併合ニ関スル条約」によって主権そのものを吸収した。この結果、朝鮮半島には朝鮮総督府が設置され、以後約35年にわたる植民地支配が続くことになった。

東アジア国際環境と日本の対韓政策の変化

19世紀末の東アジアでは、清朝の弱体化と欧米列強の進出が進み、朝鮮半島は列強の勢力が交錯する要地となっていた。日本は日清戦争で清に勝利し、下関条約によって朝鮮の「独立」を確認させる一方、実際には自国の影響力を強めようとした。しかし三国干渉により遼東半島還付を余儀なくされると、朝鮮・満州方面への進出はロシア帝国との対立を深めることになり、最終的に日露戦争へと至る。

ポーツマス条約により日本は、ロシアの韓国における優越権放棄や南満州の権益を獲得し、さらにアメリカとの桂=タフト協定、イギリスとの同盟関係などを通じて、国際的に韓国支配を黙認されていく。この過程で、日本は韓国を保護国化し、最終的な日本の韓国併合への道筋を整えていったのである。

保護国化から韓国併合条約締結まで

1904年の日露戦争開戦後、日本は韓国と日韓議定書を結び、軍事上の便宜供与などを取りつけた。1905年の第2次日韓協約(乙巳条約)では、日本が韓国の外交権を掌握し、漢城(ソウル)に統監府を設置して事実上の保護国とした。この段階で韓国政府は国際交渉の主体性を失い、列強に直接訴える手段も大きく制限された。

1907年には、韓国皇帝高宗がオランダのハーグ万国平和会議に密使を派遣して日本の保護条約の無効を訴えようとしたが失敗し、いわゆるハーグ密使事件を契機に高宗は退位させられた。その後の日韓新協約により、内政権も大幅に日本側へ移り、韓国軍は解散させられるなど国家主権は一層縮小した。こうして1910年8月22日、「韓国併合ニ関スル条約」が締結され、同年8月29日に公布されて日本の韓国併合が正式に実施された。

韓国併合条約の特徴

  • 大韓帝国皇帝が統治権を日本皇帝に「譲与」するという形式をとったこと
  • 韓国の皇族・官僚層には爵位や金禄を与え、併合への協力を促したこと
  • 条約手続きの正当性や強制性をめぐり、後に国際法上の評価が大きな論点となったこと

韓国社会の抵抗と列強の対応

日本による保護国化と併合の過程では、韓国内部で激しい抵抗が続いた。1905年以降、知識人や官僚による反日運動に加え、軍隊解散後には旧軍人や農民を中心とした義兵闘争が各地で展開された。また、海外に亡命した独立運動家たちは、列強の首都で宣伝活動を行い、併合の不当性を国際世論に訴えた。

しかし当時の列強は、自らも植民地帝国であり、日本を東アジアにおける秩序維持の担当者とみなす傾向が強かった。アメリカとの桂=タフト協定、ロシアとの日露協約、イギリスとの同盟関係などは、日本の朝鮮半島支配を事実上追認する枠組みとなり、韓国の独立回復を支持する動きは限定的であった。こうして国際環境は、韓国よりも日本に有利に働き、日本の韓国併合は実質的に列強の圧力を受けることなく進められた。

併合後の統治体制と植民地政策

併合後、朝鮮半島には朝鮮総督府が設置され、総督には現役の陸海軍大将が任命される軍事色の強い体制がとられた。警察権・立法権・行政権を総督に集中させる仕組みは、政治的自由を大きく制限し、言論・結社・出版の統制も厳格であった。また、土地調査事業を通じて土地所有関係が再編され、多くの農民が土地を失い、小作化や貧困が進行した。

一方、日本は朝鮮半島を満州・中国大陸への拠点として位置づけ、インフラ整備や産業開発も進めた。特に南満州鉄道関東州の拠点と連動した鉄道・港湾整備は、本国と大陸を結ぶ軍事・経済ルートとして機能した。ただし、それらの開発は日本側資本と本国の利益を優先する性格が強く、朝鮮人社会にとっては収奪や差別を伴う植民地支配の一部として受け止められた。

文化・教育政策と同化の試み

  1. 日本語教育の拡大や日本式学校制度の導入による言語・文化の同化政策
  2. 神社参拝の強制など、皇国史観に基づく精神的統合の試み
  3. 一方で朝鮮語・朝鮮文化への統制強化が進み、民族文化の抑圧として記憶されていること

歴史的評価とその意義

義和団事件北清事変以降、列強が中国・東アジアに勢力を拡大するなかで、日本は自らも帝国主義国家として行動し、朝鮮半島を支配下に組み込んだ。日本の韓国併合は、日本にとっては「国防上・経済上の必然」と説明されたが、韓国側にとっては主権の喪失と植民地化を意味し、以後の独立運動や日韓関係の根本問題となった出来事である。現在においても、併合の合法性や補償・謝罪のあり方、歴史認識をめぐる議論は続いており、この問題を踏まえた歴史教育と相互理解の努力が日韓双方に求められている。