囲田
囲田は、中国の五代・北宋から南宋期にかけて長江下流の江湖周辺やデルタ低地で築かれた干拓稲作地である。外水から区画を守る堤を築き、その内側に水門と用水路・排水路を配して湛水深や灌排を統御するのが基本構造である。河川・湖沼の水面や湿地を耕地へ転換するための土木体系であり、同時期の江南経済の伸長と都市の需要拡大に応えた水利開発として位置づけられる。類義語に圩田・湖田があり、いずれも堤と水門の管理を前提とする点で同型である。
定義と語義
囲田とは、堤で「囲い」、水門(閘)で「出し入れ」することにより洪水・干ばつ双方のリスクを抑え、安定した稲作を実現する干拓田を指す。江湖の周縁に沿って長大な堤線を築き、内外水位差を活かして重力排水を基本としつつ、踏車・翻車などの揚水具を補助的に用いた。長江下流域の水郷景観はこのような人工的水利の集積によって形成され、江南米作の生産基盤となった。
歴史的背景(五代〜宋)
唐末の動乱を経て国家統合が進むと、江南への人口移動と都市の膨張が加速した。北宋期には江南の二期作化と占城稲の普及が進み、低湿地の新規開発が急務となる。こうして囲田が普及し、南宋期には海上交易と結びつく穀物流通の土台を固めた。この時代の商業化・貨幣流通の進展は宋の制度的整備と相即的であり、江南の稲作は帝国財政と都市部の食料供給を広域に支えた。
工法と水利システム
造成は段階的に行われる。まず外周堤(圩・囲)を築き、基礎地盤を締固める。ついで上・下水門を据え、用排兼用の幹線水路を掘削し、支線水路・畦畔を配する。潮位差の大きい沿岸部では潮門の操作により排水・取水を調節し、内水氾濫期には逆止機構で逆流を防ぐ。施工後は堤法面の植生保護や夜間の見回りなど維持管理が日常化し、集落ごとに共同規約や番役が設けられた。
地域的展開と景観
中心は太湖を含む長江下流の水郷で、湖沼と網状河川の間に囲田帯が連続する。さらに珠江デルタでも堤囲い型の干拓が広がり、広東内湾の泥洲が耕地化された。江南では蘇・湖・杭などの都市近郊に広く分布し、米作と絹業・茶業とが水運で結節した。こうした景観は江南の「小農+手工+商業」構造と密接に連動する。
社会・経済への影響
囲田は米の恒常的増産を可能にし、都市と港市の人口・需要を支えた。堤と水門の維持には資金・資材・労力が不可欠で、大地主や形勢戸が造成・統括し、小農や小作が日常管理を担う分業が生まれた。収穫物と地代の流通は広域の金融・為替慣行とも結びつき、遠隔地送金の発達(たとえば飛銭)や市場税制の整備を促した。
制度・水利規制
大規模囲田の増加は水利の私占化や堤囲いによる自然水路の閉塞を招くことがあり、官は度々堤の開掘・通水の命を出した。地方官は堤線の検分、通水幅の規定、共同役の割当などを通じて治水と耕地保全の均衡を図った。都市近郊では課役免除や資材供給などの奨励も見られ、国家・郷里と地主層の協働が一般化した。
都市とネットワーク
囲田地帯は運河と内海に接続し、米・綿・絹・茶などを積み替える物流拠点を形成した。六朝以来の都城伝統を受け継ぐ建康や、南宋期の臨安を擁する江浙都市圏では、港湾・倉廩・市舶機構が結節し、金融や書籍印刷、工芸といった都市活動が農村と相互補完的に発達した。蜀の成都の金融革新や江南港市の交易拡大とも相俟って、広域市場が常態化した。
前史と文化的連続
長江・淮河線に拠る南方政権の自立は六朝期以来の地政学的特徴であり、のちの囲田開発はこの長期的水陸交通の枠組みの上に展開した。南方政権の都市文化や宗教空間の発達は、治水・水利の公共性と結びつき、住民共同体の水管理を支える規範を形成した。こうした歴史的文脈は南朝や東晋の段階から継承される。
関連概念と用語
圩田は河川・池を堤で囲い干拓した田、湖田は湖面の干拓地で、いずれも囲田の一型である。いずれの場合も堤・水門・水路網が不可欠で、洪水多発域ほど水門運用と連続堤の保守が重視される。江南の開発史を扱う際は、これらの語を区別しつつ同系統の水利技術として理解するのが妥当である。
用語上の注意
史料や地域により表記に揺れがある。広東・珠江流域では「圍田」表記も用いられ、江蘇・浙江周辺では「圩田」が一般的である。日本語史学用語としては囲田を上位概念として扱い、圩田・湖田を下位類型とする整理が広く用いられる。
日本の干拓との比較
日本の近世干拓田と技術的に似る点はあるが、潮差・河況・水路密度、共同体規約や官の関与度合いが異なる。中国江南では巨大都市圏と結びつく常時の流通・金融が早期から前提となり、干拓地は都市経済の「外縁倉庫」としての性格を強く帯びた。この前提の差異を念頭に史比較を行う必要がある。
学術史的意義
囲田は、江南経済の持続的拡大を説明する鍵概念であり、気候変動・河川動態・人口移動・都市化・財政金融といったテーマを横断する統合的研究対象である。制度史・環境史・技術史の交差点に位置づき、都市・農村・水域の三者関係を読み解く枠組みを提供する。関連項目としては宋、江南、六朝などが挙げられる。