四月普通選挙
四月普通選挙は、1848年の二月革命で成立したフランスの臨時政府が実施した、成年男子に普通選挙権を与える最初の国政選挙である。1848年4月23日に憲法制定議会を選出するために行われ、従来の制限選挙から一挙に約900万の男性有権者へと拡大した点に大きな特徴がある。この選挙は、革命の勢いを背景にしながらも、地方の保守的な民衆意識を反映し、新たに誕生した第二共和政の性格を方向づける契機となったのである。
歴史的背景
七月王政期のフランスでは、一定額以上の納税者にしか選挙権が与えられず、限られたブルジョワ層だけが政治参加を許されていた。この状況に対する不満は、選挙法の緩和を求める選挙法改正運動(フランス)や改革宴会などの形で蓄積し、ついに1848年2月の蜂起へとつながった。二月革命によってルイ・フィリップ王が退位すると、共和政を掲げる臨時政府が成立し、民衆の要求に応えるかたちで普通選挙権の導入が決定されたのである。
普通選挙法と有権者の拡大
臨時政府は1848年3月に法令を公布し、21歳以上の全てのフランス人男性に選挙権を与えた。財産要件や身分による制限は撤廃され、居住期間などの行政的条件を満たせば投票できる仕組みであった。これにより、従来の約24万人の有権者が一挙に数百万人規模へ拡大し、農民や都市労働者も初めて国政に自らの意思を反映させる機会を得た。このような大規模な有権者拡大は、ヨーロッパ全体の1848年革命の中でも画期的な試みであり、後の科学的社会主義やエンゲルスらの議論にとっても重要な参照点となった。
選挙制度と投票の実際
四月普通選挙はフランス全土を選挙区とするわけではなく、各県(デパルトマン)ごとに定められた定数の議員を選出する仕組みであった。選挙人は候補者名を記した投票用紙を提出し、得票数の多い者から定数分が当選する大選挙区制に近い制度である。識字能力に不安のある有権者も多く、地方では地主や聖職者などの「名望家」が候補者リストを用意し、それに従って投票する慣行が強かった。このため、制度としては民主的でも、実際の投票行動は地域の伝統的支配層の影響を色濃く受けたのである。
選挙結果と勢力分布
四月普通選挙の結果、憲法制定議会では穏健な共和派と保守的な勢力が多数を占め、パリの急進的な民主派・社会主義者は少数派にとどまった。二月革命の中心で活動した労働者や急進共和派は、一部の都市選挙区を除き十分な議席を得られず、農村有権者の支持は地主層やカトリック的価値観を尊重する候補者へと向かった。こうして議会は、社会改革よりも秩序と財産権の維持を重視する姿勢を強め、やがて国立作業場廃止などの政策決定へとつながっていく。
パリと地方の乖離
この選挙は、政治意識におけるパリと地方の大きな乖離を浮き彫りにした。パリの労働者層は共産党宣言やラマルティーヌらの言論に触れ、社会問題の抜本的解決を求めていたのに対し、多くの農民は税負担の軽減や治安の安定を優先し、急進的な社会改革には慎重であった。地方の票が議席配分において大きな比重を占めた結果、議会はパリの革命的熱気よりも、地方の保守的な期待を反映した編成となったのである。
第二共和政への影響
四月普通選挙で成立した議会は、新しい共和政体制の枠組みを定める憲法制定の任務を負った。その過程で、議会は秩序維持を最優先し、労働者保護や社会権の明文化には消極的な姿勢を示した。国立作業場の廃止決定は1848年6月蜂起を誘発し、第二共和政は早くも深刻な亀裂を抱えることになった。普通選挙制のもとであっても、社会階層間の利害対立や都市と農村の意識差が政治に強く反映されることを示した点で、四月普通選挙は近代民主政治の課題を象徴する出来事であったといえる。