ロカルノ条約
ロカルノ条約は、1925年にスイスのロカルノで締結された一連の協定であり、第一次世界大戦後のヨーロッパにおける安全保障体制を再構築しようとした試みである。ドイツ、フランス、ベルギーと、この西欧諸国を保証するイギリスとイタリアが参加し、ヴェルサイユ条約で定められた西部国境の確認とラインラントの非武装化を再確認した。この協定は、戦後の対独制裁から協調へと転換する象徴として「ロカルノ精神」と呼ばれ、戦間期ヨーロッパにおける国際協調の代表的出来事とみなされる。
成立の背景
第一次世界大戦後、ドイツはヴェルサイユ条約によって領土の割譲や巨額の賠償金を課され、国内には深い不満が蓄積した。一方、フランスやベルギーは再びドイツに侵略されることを恐れ、安全保障の強化に努めた。その帰結として1923年にはルール占領が行われ、賠償支払いをめぐる対立は欧州経済全体の不安定化を招き、いわゆるドイツ賠償問題が国際政治の中心課題となった。
こうした緊張を緩和するため、アメリカの仲介によりドーズ案が策定され、賠償支払い方式の緩和と欧州経済再建が模索された。同時期にはワシントン会議や九カ国条約を柱とするワシントン体制が成立し、列強のあいだで国際協調の機運が高まっていた。ロカルノ条約は、その流れを受けてヨーロッパ西部に安定した安全保障の枠組みを築こうとする構想から生まれたのである。
交渉の過程と参加国
交渉を主導したのは、ドイツ外相グスタフ=シュトレーゼマン、フランス外相アリスティド=ブリアン、イギリス外相オースティン=チェンバレンといった指導的外交官であった。彼らは、武力ではなく外交交渉によって安全保障問題を解決することを目指し、スイスの保養地ロカルノで会議を開催した。そこにはドイツ、フランス、ベルギー、イギリス、イタリアに加え、国境問題の当事者であるポーランドやチェコスロヴァキアも関係国として関与した。
交渉の焦点となったのは、フランス・ベルギーの安全保障をいかに確保しつつ、ドイツの主権や対外的地位を回復させるかという点であった。シュトレーゼマンは、武力対立を避けつつ条約改訂への道を開くため、まず西部国境の確認と信頼醸成を優先しようとし、これにブリアンやチェンバレンが応じるかたちで妥協が形成されていった。
条約の主要内容
ロカルノ条約の核心は、西部国境とラインラントに関する相互保証であった。ドイツはフランスおよびベルギーとの国境線を承認し、武力によって現状を変更しないことを約束した。これに対し、イギリスとイタリアは保証国として、条約違反が生じた場合には被害国を援助する義務を負い、フランス側の安全保障不安を和らげる役割を果たした。
ラインラント保証条約
- ドイツ・フランス・ベルギーは、相互に国境の不可侵と紛争の平和的解決を約束した。
- ライン川西岸およびその周辺からのドイツ軍の撤退と、同地域の恒久的な非武装化が再確認された。
- いずれかの国が侵略を受けた場合、保証国であるイギリスとイタリアが被害国を支援することが定められた。
仲裁条約と東部国境
同時に、ロカルノ条約ではドイツとポーランド、チェコスロヴァキアとの間で仲裁条約が締結された。これらは、紛争が生じた際には国際仲裁や国際司法裁判所に付託する手続きを定め、武力行使を回避しようとするものであった。しかし、西部国境とは異なり、これら東部国境はイギリスやイタリアによって保証されず、将来的な平和的改訂の余地が残されていた。この点は、ポーランドなど東欧諸国に大きな不安を与えた。
ロカルノ体制と国際協調
1926年、ロカルノ条約を受けてドイツは国際連盟に加盟し、シュトレーゼマンとブリアンはノーベル平和賞を受賞した。西欧諸国の間には和解と協調の雰囲気が広がり、「ロカルノ体制」は戦間期ヨーロッパ秩序の安定を象徴するものと受け取られた。この体制は、海軍軍縮などを通じて列強関係を調整したワシントン体制と並び、戦間期の国際協調を示す重要な枠組みと評価される。
意義と限界
とはいえ、ロカルノ条約には明確な限界も存在した。西部国境のみが強く保証され、ポーランドやチェコスロヴァキアなど東欧の安全保障は後景に置かれたため、「ドイツと西欧が手を結び、東欧を犠牲にした」という批判が生まれた。また、条約は軍縮の実効性確保やファシズムの台頭といった新たな問題には十分に対応しておらず、国際秩序の長期的安定を保証するものではなかった。
1930年代に入ると世界恐慌とナチス政権の成立によって国際協調は急速に後退した。1936年、ヒトラー政権がラインラントへ進駐すると、ロカルノ条約で定められた非武装化体制は事実上崩壊し、保証国であるイギリスとイタリアも有効な制裁措置をとらなかった。この出来事は、集団安全保障が強力な政治的意思と軍事的裏づけを欠けば機能しないことを示す一例となり、第二次世界大戦へと至る過程を理解するうえで重要な転換点と位置づけられている。