フスタート
フスタートは、641年にアムル・イブン・アル=アース(Amr ibn al-As)がエジプト征服直後に建設したアラブ・イスラーム支配下最初の首都であり、現在のカイロ旧市街(Old Cairo)一帯にあたる都市である。ナイル川東岸、ローマ・ビザンツ期のバビロン要塞の北側に広がり、軍営都市(アラビア語のミスル)として出発したが、やがて行政・交易・宗教の中心へと成長した。ウマイヤ朝・アッバース朝期には地中海と紅海を結ぶ中継拠点として繁栄し、969年にファーティマ朝がカイロ(al-Qāhira)を新都として建設した後も、フスタートは商業の重心として機能し続けた。
成立と立地
フスタートの創建は、エジプトの迅速な統治拠点整備を目的とした軍事・行政的決断である。ナイルの水運とデルタの生産力を背景に、上・下エジプトを結ぶ要所に位置し、対地中海交易の玄関港アレクサンドリアや紅海方面と連絡する拠点として設計された。都市は部族別の居住区に分かれ、軍事と徴税、物資集散の機能が有機的に組み合わさっていた。
都市構造と行政
フスタートは、同時代のクーファやバスラに並ぶ軍営都市として理解される。行政施設、倉庫群、市場(スーク)が川沿いに展開し、徴税・財務を司る官衙が配置された。市街は格子状に厳密計画されたというより、軍営と商業地が拡張を重ねる「集合体」として成長し、ナイル沿いの埠頭では穀物・亜麻・砂糖・パピルスなどが積み降ろしされた。
アムル・モスクの意義
フスタートに建てられたアムル・イブン・アル=アース・モスクは、エジプト最初期の金曜モスクとして知られる。礼拝の場であると同時に、判事や学者が集い法学・伝承が議される学知の核でもあった。増改築を重ねたため創建当初の姿は変化したが、都市の宗教的権威と共同体の結束を象徴する存在であり続けた。
経済と交易
ナイル水運を背にしたフスタートは、地中海・紅海を連絡する要として繁栄した。アレクサンドリアから到着する地中海交易品、上エジプト産の穀物、紅海経由の香辛料や織物が市場に集積し、貨幣経済が浸透した。とくにファーティマ朝期にはイスラーム商業圏の広がりを背景に、陶器や金属器、ガラス工芸など都市手工業も発達した。
宗教と社会
フスタートの社会は多層的であった。アラブ系征服者・役人に加え、コプト教徒、ユダヤ教徒などズィンミー(保護民)が居住し、税制と自治的慣行の下で共存した。コプト語文書やユダヤ教会堂に残された書簡は、都市の課税、信用取引、寄進、婚姻・相続を生々しく伝える。共同体相互の関係は、イスラームの共同体ウンマの枠組みと現地社会の慣習が交錯する中で調整された。
史料とカイロ・ジェニザ
フスタート史研究の最大の宝庫が、ベン・エズラ会堂に蓄積された「カイロ・ジェニザ」である。10~13世紀頃の商業書簡、契約書、家計簿、訴状が大量に保存され、都市の商圏、価格、保険的契約、女性の財産権、慈善ネットワークまで可視化する。これらはイスラーム法学の運用、共同体間の紛争解決、地中海世界との接続を捉える一次史料である。
政治変動と衰退
969年、ファーティマ朝がカイロを建設すると、行政の中枢は新都へ移り、フスタートは商業都市として存続した。だが1168年、シルクルーズ勢力の侵入に際し、宰相シャーワルが敵の利用を断つためフスタートに自焼を命じ、大火で市街は壊滅的打撃を受けた。以後、サラーフッディーン期の再編を経ても重心はカイロ側に移り、旧市街は次第に取り込まれていった。
年表(要点)
- 641年:アムル・イブン・アル=アースがフスタート建設を開始。
- 642年頃:アムル・モスク創建、エジプト統治の拠点となる。
- 7~9世紀:ウマイヤ朝・アッバース朝下で繁栄。
- 969年:ファーティマ朝がカイロ創建、行政中枢が移動。
- 1168年:シャーワルの命でフスタート放火、都市機能が壊滅。
用語補説:ミスルと軍営都市
軍営都市ミスル(複数形アムサール)は征服地の統治・防衛・移住に対応した都市類型で、徴税・兵站・布教の拠点を兼ねる。ミスル概念の典型例としてのフスタートは、同時代のクーファ・バスラと比較され、イスラーム世界の成立期における都市形成のダイナミズムを示す。共同体の自己理解(ムスリム・コーラン・ジハードなどの観念)も都市生活の規範と制度を方向づけた。
研究上の位置づけ
フスタートは、イスラーム都市史、エジプト経済史、地中海交易史の交点に位置づけられる。発掘遺構やジェニザ文書の統合的分析により、税制と商慣行、宗教的少数者の法的地位、行政の空間配置が具体的に再構成でき、イスラーム世界の成立から正統カリフ時代を経て中世カイロに至る長期的展開の理解を深める拠点である。