ジハード|信仰に根ざす努力と共同体防衛

ジハード

ジハードはアラビア語の語根J-H-D(努力・奮闘)に由来し、神の望む善を実現するために自他の限界に抗して「力を尽くす」営みを指す概念である。聖典の語法では祈り・施し・教育などの平和的努力を含み、武力行使を意味する語「キタール(qital)」とは厳密に区別される。中世以降、対外戦争の正当化語として用いられた側面もあるが、本来は信仰・倫理・社会貢献にまたがる多面的な規範であり、翻訳語「聖戦」のみで捉えるのは適切でない。

語源と典拠

ジハードは動詞jahada(努力する)に由来する名詞で、クルアーンでは「神の道において奮闘する」義で現れる。ハディースや初期史料でも、布教・学習・施し・自浄(欲望や怠慢との闘い)などの文脈が確認でき、単なる戦闘の同義語ではないことが示唆されている。

概念の二層構造:大ジハードと小ジハード

  • ジハード・アル・ナフス(大):自己の内なる悪徳に抗し、信仰・知・徳を磨く内面的奮闘。
  • ジハード・ビッサイフ(小):共同体防衛などに関わる外的奮闘で、戦闘はその一部にすぎない。

この二分法は後代の体系化であるが、初期解釈にも自浄の強調は濃く、今日の学術的説明でも中核として扱われる。

法学(フィクフ)における位置づけ

古典法学はジハードを義務(ファルド)の一形態として論じ、共同義務(ファルド・キファーヤ)と個別義務(ファルド・アイン)を区別した。共同体に十分な担い手がいる場合は全員免除されるが、急迫の防衛時には個別義務化する。さらに条約遵守、和平の選好、布教の自由、迫害救済など、複合的目的の調停が議論された。

交戦規範と制限

  • 非戦闘員(女性・子ども・修道者・農耕民等)の保護
  • 約束・停戦の遵守と背信の禁止
  • 過度な破壊・虐殺・拷問・自殺の禁止
  • 財物の略奪や聖域冒涜の禁止

これらは各学派の解説に濃淡があるが、濫用を抑制する原理として再確認されてきた。現代では人道法との接合可能性が注目される。

「キタール」との区別

qitalは「戦う」という動詞に由来し、戦闘という行為自体を指す。対してジハードは目的志向の「努力」であり、布教・教育・救貧・統治改革など非軍事領域を広く含む。両者の混同は歴史的文脈の読み違いを招くため、語義の峻別が不可欠である。

初期イスラーム史における展開

預言者ムハンマドの共同体形成では、信仰の自由保障や紛争調停が主要課題で、憲章や契約の実施が重視された。正統カリフ期には防衛と秩序維持の名の下で領域が拡大したが、その正統化は布教・課税・保護の制度設計と結びついており、単純な征服史観では説明できない。

中世以降の解釈の揺らぎ

十字軍やモンゴル来襲など外的脅威の高まりは、共同体防衛の言説を強めた。他方、スーフィーは内面的ジハードを深化させ、学知・詩・修行による人格改革を説いた。政治権力はしばしば動員の標語として用いたが、法学は規範の枠内に収めるべく制限を積み上げた。

近現代の再解釈

植民地支配の経験と国民国家化はジハード言説を多方向に分岐させた。改革派は教育・福祉・立憲の推進を「努力」と捉え直し、非暴力の社会改革を重視した。一方で過激派は語を戦闘主義的に矮小化し、無差別暴力を正当化しようとするが、これは伝統的規範の核心(非戦闘員保護・自殺禁止・背信否定)に反するため、各地の学者・共同体から繰り返し批判されている。

非軍事領域での具体的実践

  • 学習・研究:知の獲得と誤情報の是正を通じた社会貢献
  • 福祉・施し:救貧・医療・災害救助への参加
  • 倫理修養:断食・節制・誠実な職業労働による自浄
  • 対話・調停:宗教間理解の促進、紛争の平和的解決

これらは平時におけるジハードの主要な姿であり、共同体の信頼と公共善を積み上げる。

日本語の用法と注意点

日本語環境ではジハードが「聖戦」と単訳されることが多いが、語義の全体像(努力・自浄・社会改革)を覆い隠す恐れがある。学術的・報道的用法では、qitalとの区別、非軍事的側面、規範的制限を併記して説明することが望ましい。