ハイチ|カリブ初の黒人共和国の歩み

ハイチ

概要

ハイチは、カリブ海に位置するイスパニョーラ島西部の共和国である。首都ポルトープランスを中心に、フランス語とハイチ・クレオール語を公用語とし、黒人奴隷の反乱から誕生した世界初の黒人共和国として知られる。かつてはフランスの砂糖植民地サン・ドマングとして繁栄し、19世紀初頭に独立を達成した歴史は、アメリカ大陸における反奴隷制運動と脱植民地化の先駆例とみなされている。

地理と社会

この国はドミニカ共和国と島を分け合い、山地が多く細長い湾や半島が入り組んだ地形をもつ。熱帯気候のもとでハリケーンや洪水が頻発し、農地や居住地に大きな被害をもたらしてきた。住民の大多数はアフリカ系の子孫であり、カトリックと土着信仰ヴードゥーが混淆した宗教文化が広く根付いている。都市部の貧困地区と農村の自給的農業が並存し、教育や医療へのアクセスの格差も深刻である。

  • 主な輸出品はコーヒー、カカオ、マンゴーなどの農産物である。
  • 縫製業などの軽工業が海外資本に依存して発展してきた。
  • 出稼ぎ労働者からの送金が国家経済を下支えしている。
  • 観光は潜在的な資源だが、治安とインフラの問題から十分に活用されていない。

植民地支配と独立革命

イスパニョーラ島は当初スペインの支配下にあったが、17世紀には西部を中心に海賊やフランス人入植者が勢力を伸ばし、のちにフランス領サン・ドマングとなった。この植民地は砂糖やコーヒーの生産により18世紀の世界で最も富裕な島の一つとなったが、その繁栄はアフリカから連行された奴隷と厳しいプランテーション労働に支えられていた。自由黒人や混血住民、白人プランターの間には法的・社会的な身分差が存在し、社会は常に緊張をはらんでいた。

サン・ドマング植民地

サン・ドマングでは、サトウキビやコーヒーの大農園が大西洋三角貿易の一端を担い、ヨーロッパ市場の甘味需要を満たした。プランテーションの黒人奴隷は過酷な労働と熱帯病により高い死亡率にさらされ、人口を維持するために常に新たな奴隷輸入が必要とされた。逃亡奴隷(マルーン)による抵抗や小規模な反乱は繰り返されており、支配秩序は表面的な安定の下で不安定であった。

トゥサン・ルーヴェルチュールと独立

18世紀末、フランス革命の余波の中でサン・ドマングの社会秩序は大きく揺らぎ、1791年に大規模な黒人奴隷反乱が勃発した。その中心人物の一人であるトゥサン・ルーヴェルチュールは、軍事的才能と巧みな外交を発揮しつつ奴隷制廃止と自治の獲得を目指した。フランス本国は一時奴隷制を廃止したものの、のちにナポレオン政権が支配回復を企図して遠征軍を派遣し、激しい戦争となった。最終的にジャン=ジャック・デサリーヌらが独立を宣言し、1804年に黒人と混血住民による主権国家が成立したのである。

現代ハイチの課題と意義

独立後のこの国は、列強による経済的圧力、賠償金支払い、政治的内紛などに悩まされてきた。20世紀には外国軍の占領やデュヴァリエ親子の独裁体制が続き、その後もクーデタや政変が繰り返された。さらに地震やハリケーンなどの自然災害がインフラを破壊し、国際機関やNGOによる支援に大きく依存する状況が続いている。一方で、奴隷反乱から生まれた国家としての経験は、アフリカ系ディアスポラやラテンアメリカ諸国の解放運動に象徴的な影響を与え、現代の人権・反人種差別思想を考えるうえでも重要な歴史的事例となっている。