ニューディール政策
ニューディール政策とは、1930年代のアメリカ合衆国で、フランクリン・ローズヴェルト大統領が実施した一連の経済・社会改革である。世界恐慌によって前例のない失業と企業倒産が広がるなか、従来の自由放任主義を改め、連邦政府が積極的に景気対策と社会保障に介入した点に特徴がある。金融制度の安定化、産業・農業の立て直し、失業者救済、労働者保護など多方面にわたる政策を組み合わせ、危機の収束と資本主義体制の再建をめざした。
背景:世界恐慌とアメリカ経済の危機
1929年のウォール街株式市場の暴落、いわゆる暗黒の木曜日をきっかけに、アメリカ経済は急激な収縮に陥った。工業生産は大きく落ち込み、失業率は20%を超える水準に達し、多くの農民も価格暴落と借金に苦しんだ。フーヴァー政権は、民間の自助努力と景気回復への楽観に依存し、連邦政府の直接介入には慎重であったため、状況はなかなか好転しなかった。こうした不満と危機感の高まりのなかで、1932年大統領選挙においてローズヴェルトが勝利し、新路線としてニューディール政策が掲げられた。
基本理念:3つのRと国家の役割拡大
ニューディール政策は、しばしば「救済(Relief)・回復(Recovery)・改革(Reform)」という3つのRで説明される。すなわち、困窮する失業者や農民への緊急救済、需要喚起と投資拡大による景気回復、そして金融制度や労働関係の構造改革を通じた再発防止である。ここでは市場の自動調節機能への全面的な信頼を改め、国家が雇用創出、価格安定、所得再分配に積極的な役割を果たすべきだとされた。後に理論化されるケインズ経済学と親和的な発想であり、公共事業や財政赤字を通じて有効需要を生み出すことが目指された。
緊急救済と公共事業
最初の段階では、生活に困窮する人々への直接的な支援が重視された。連邦緊急救済局(FERA)は州政府を通じて失業者などに救貧資金を配分し、民間の慈善事業では対応しきれない規模の救済を行った。また、市民保全部隊(CCC)は若年失業者を森林保全や土壌浸食防止などの公共事業に動員し、賃金と職業訓練の機会を提供した。さらに、公共事業局(PWA)や後の進歩的事業団(WPA)は道路・橋・公共建築など大規模インフラの整備を通じて雇用創出を図り、地域経済の活性化にも寄与した。これらはニューディール政策のうち「救済」と「回復」の側面を象徴するものである。
金融・産業・農業の再建
ニューディール政策は、金融恐慌の再発防止と産業秩序の再編にも力を注いだ。銀行休業措置と検査を経て健全な銀行のみ営業を再開させ、預金保険公社(FDIC)の創設によって預金者を保護し、金融システムへの信認回復を図った。また、証券取引委員会(SEC)を設置して株式市場の監督を強化し、1920年代の過度な投機を抑制しようとした。
- 全国産業復興法(NIRA)に基づき、業界ごとに生産量や価格、労働条件に関する「協定」を策定し、過当競争の抑制と賃金水準の維持を試みた。
- 農業調整法(AAA)は、作付制限と補助金を通じて農産物価格を引き上げ、農民の所得回復を目指した。
こうした試みは、市場への国家介入を大きく拡大するものであり、憲法違反判決による一部政策の無効化や保守派からの批判も招いたが、危機的状況のなかで新しい経済統制のあり方を模索した点で重要である。
関税政策と国際経済の文脈
世界恐慌下で、アメリカはすでに高関税政策を取っており、その象徴がスムート=ホーリー法であった。これに対抗して各国も輸入制限や通貨切り下げを進め、世界貿易は急速に縮小した。フーヴァー政権期には賠償・債務支払いの一時停止を定めたフーヴァー=モラトリアムが打ち出されたが、状況を根本的に改善するには至らなかった。ローズヴェルト政権下のニューディール政策は、主として国内対策に重点を置きつつも、為替政策や輸出振興などを通じて国際経済との関係を再調整しようとした点で、当時各国が進めたブロック経済とも関連して理解される。
労働政策と社会保障の確立
第2次ニューディール政策と呼ばれる1935年前後には、労働者保護と社会保障制度の整備が中心課題となった。ワグナー法(全国労働関係法)は労働者の団結権・団体交渉権を法的に保障し、労働組合の活動を支える基盤を築いた。社会保障法は、老齢年金や失業保険などを制度化し、以前は家族や慈善に依存していた高齢者や失業者の生活を、国家が一定程度支える仕組みを導入した。これらの制度は、アメリカにおける福祉国家の出発点と評価され、後の拡充にもつながった。
政治的対立と最高裁判所との関係
ニューディール政策は常に支持と反発のはざまで展開した。保守派は、連邦政府の権限拡大が憲法の理念や自由企業を脅かすと批判し、一部の法律は最高裁判所によって違憲と判断された。これに対しローズヴェルトは、最高裁判事の増員構想など強硬策を試み、世論の論争を巻き起こした。結果として増員案は挫折したものの、裁判所の判決傾向は徐々に変化し、多くのニューディール立法が最終的に容認されることとなった。この過程は、危機時の立憲主義と民主政治のバランスをめぐる重要な経験となった。
歴史的意義とその後への影響
ニューディール政策は、完全雇用の達成や恐慌からの脱出を一気に実現したわけではないが、連邦政府の役割拡大と社会保障制度の導入を通じて、アメリカ型資本主義の枠組みを大きく組み替えた。危機のなかでも民主主義体制を維持しつつ改革を進めた経験は、同時期に権威主義やファシズムへ傾斜した諸国との対照として理解され、後世の歴史家の関心を集めている。世界恐慌とその影響、さらには世界恐慌とファシズムを考えるうえで、アメリカが選択したこの改革路線は、20世紀の政治・経済秩序を理解するうえで欠かせない位置を占めている。