フーヴァー=モラトリアム
フーヴァー=モラトリアムとは、世界恐慌の深刻化を受けて1931年に米国大統領ハーバート・フーヴァーが提唱した、各国政府間の対外債務と賠償金支払いを一定期間停止する措置である。第一次世界大戦後に形成された「賠償金」と「戦債(連合国の対米債務)」の連鎖は、国際金融の不安定化とともに各国財政を圧迫していたため、1年程度の支払い猶予を設けて信用不安の連鎖を断ち、国際経済の安定を図ろうとした点に特色がある。
成立の背景
1929年以降の世界恐慌は、貿易縮小と失業増大を通じて各国の財政と金融を痛めつけた。とりわけ欧州では、ドイツの賠償金負担が国際資本移動に依存して成り立っており、景気後退と資本引き揚げが同時に進むと、支払い能力そのものが揺らぎやすかった。金本位制の下では通貨防衛が優先され、金融緩和や積極財政を取りにくいことも、危機対応を難しくした。こうした環境の中で銀行不安が広がり、国際金融の「支払いの連鎖」を一時的に止める発想が現実味を帯びたのである。
提案の内容
フーヴァー=モラトリアムの中心は、政府間の支払いを対象に、一定期間の支払い停止を認める点にあった。具体的には、ドイツが負担する賠償金と、それを受け取る側の欧州諸国が米国へ支払う戦債が連動しているという構造を踏まえ、両者を同時に猶予して圧力を和らげることを狙った。期間を区切ったのは、恒久的な債務整理に踏み込む前段階として、当座の信用不安を沈静化させる意図が強かったためである。
「モラトリアム」の意味
モラトリアムは、法的または政治的判断により、債務の履行を一定期間猶予する措置を指す。免除ではなく「支払い期日の先送り」である点が重要であり、危機の最中に直ちにデフォルトが連鎖する事態を回避する目的で用いられることが多い。
国際交渉と各国の反応
提案は米国の主導で提示されたが、受益と負担の配分が複雑であったため、各国の反応は一様ではなかった。賠償金受領国側には歳入減への懸念があり、対米債務を抱える国々は国内世論との調整も必要だった。一方で、金融不安が国境を越えて波及する状況では、支払い継続が危機を増幅させるとの見方も強まり、最終的には主要国が受け入れに向かう。こうして一定の合意形成はなされたものの、交渉過程で時間を要したこと自体が市場心理を落ち着かせにくくしたという指摘もある。
期待された効果
この措置により想定された効果は、主に次の3点である。
- 政府間支払いの停止により、各国財政の短期的な資金繰り圧力を軽減すること
- 賠償金と戦債の連鎖を止め、国際決済の停滞から生じる金融不安を緩和すること
- 危機時の国際協調を示し、市場の悲観をいったん押し戻すこと
とくにドイツの対外支払い能力への疑念が高まっていた局面では、「時間を買う」政策として一定の合理性が見出された。
限界とその後の展開
一方で、フーヴァー=モラトリアムには限界も大きかった。第一に、国際金融危機の中心は政府間債務だけでなく、短期資本の流出入や銀行の信用収縮にもあったため、支払い猶予だけで金融システム全体の不安を止め切ることは難しかった。第二に、期間が限定された措置である以上、根本的な債務整理や制度改革に結び付かなければ、猶予期間終了後に不安が再燃しやすい。実際、その後も各国は通貨防衛や資本規制、為替制度の変更などに追い込まれ、国際経済の分断が進む流れは止まりにくかった。こうした経緯の中で、賠償問題は国際会議を通じて事実上の整理へ向かうが、戦債問題は国内政治の影響も受け、円滑な解決には至りにくかった。
歴史的意義
フーヴァー=モラトリアムの意義は、世界恐慌期の国際経済が「債務の鎖」で結び付いていた現実を可視化し、危機管理の手段として政府間協調を試みた点にある。また、支払い停止という強い措置が検討されるほど、戦後秩序としての賠償金・戦債体制が脆弱化していたことも示した。結果として短期的な安定化は限定的であったにせよ、のちの賠償整理や国際金融秩序の再検討へつながる一里塚として位置付けられる。