ストゥ
アメリカ合衆国の作家ストゥ(ハリエット=ビーチャー=ストウ Harriet Beecher Stowe, 1811-1896)は、19世紀の反奴隷制運動を象徴する人物である。小説アンクル=トムの小屋の作者として知られ、その筆致によって奴隷制度の非人間性と黒人奴隷の苦難を広く可視化した。しばしば日本語では「ストウ」あるいは「ストー」とも表記されるが、ここではユーザーの指定に合わせてストゥと記す。彼女の作品は北部の世論を動かし、奴隷制をめぐる政治対立を激化させた点で、19世紀アメリカ史と世界の人権史の双方において重要な位置を占める。
生涯と宗教的背景
ストゥはコネチカット州の敬虔なプロテスタント家庭に生まれ、父ライマン=ビーチャーは有力な説教者であった。彼女は幼少期から聖書と道徳教育に親しみ、罪と救済、人間の平等といった宗教的テーマを深く内面化したとされる。のちに神学者カルヴィン=ストウと結婚し、多くの子どもを抱えながら執筆活動を続けたが、その生活は決して裕福ではなく、家庭と仕事を両立する女性作家としての経験が作品世界にも反映された。特にオハイオ川流域での生活を通じて、対岸の奴隷州で行われる奴隷売買や黒人差別の実態に触れたことが、後の反奴隷制的な思想形成に大きく影響したと考えられている。
奴隷制との出会いと問題意識
ストゥは、奴隷制度そのものに直接関わる中で問題意識を深めていったわけではないが、国境を挟んで隣接する自由州と奴隷州の対比を日常的に目にすることで、制度の不条理さを体感していった。連邦議会では、西部新領土への奴隷制拡大をめぐってミズーリ協定などの政治的妥協が重ねられていたが、こうした政治的取引は、現実の奴隷たちの苦しみを放置するものとして彼女には映った。また、キリスト教的信仰に立つ立場から、人間は神の前では平等であるという観念と、黒人を所有物とみなす奴隷制は両立しえないと考え、その矛盾を文学によって告発しようとする動機を強めていった。
『アンクル=トムの小屋』の執筆と内容
1850年にアメリカで制定された逃亡奴隷法は、逃亡した奴隷を北部から南部へ強制的に送り返すことを義務づけ、反奴隷制派に大きな衝撃を与えた。ストゥはこの法律に強い憤りを抱き、自らの信仰と道徳観に基づいて奴隷制度の実態を告発する小説の執筆を決意した。この結果生まれたのがアンクル=トムの小屋であり、敬虔な黒人奴隷トムと彼に関わる人々の運命を通じて、家族の離散、肉体的虐待、人格の否定といった奴隷制度の暴力性が描かれる。小説は同情心に訴える感情的な文体をとりながらも、当時の奴隷売買や領土問題、さらにはカンザスネブラスカ法へとつながる政治的対立の背景を暗示し、読者に制度そのものの不正義を考えさせる構成になっていた。
社会的反響と奴隷制廃止運動への影響
アンクル=トムの小屋は刊行直後から空前のベストセラーとなり、北部の一般市民に奴隷制度の残酷さを鮮烈なイメージとして刻みつけた。多くの読者は、南部のプランテーションで行われる暴力や家族の引き裂きが、憲法や法律によって正当化されていることに強い道徳的嫌悪を覚え、反奴隷制運動への支持を強めていった。物語の中で逃亡する奴隷たちの姿は、実際に奴隷を秘密裏に脱出させた地下鉄道運動や、その象徴的指導者であるハリエット=タブマンらの活動とも重ね合わされて受け取られた。一方で、南部では作品が奴隷主を一方的に悪人として描いているとして激しい反発が起こり、制度をめぐる地域対立をさらに先鋭化させる一因ともなった。
その他の著作と思想的立場
ストゥは『アンクル=トムの小屋』の成功後も、奴隷制を扱った『ドレッド』などの作品を発表し、黒人の権利擁護とキリスト教的道徳の必要性を繰り返し訴えた。また、家庭小説やエッセイを通じて、母親や妻といった女性の役割を尊重しつつも、女性が公的領域で発言することの正当性を主張し、のちの女性運動とも通じる問題意識を示したと評価される。彼女の思想は急進的な革命を唱えるものではなく、信仰と道徳に立脚した漸進的改革を重視する点で、同時代の政治勢力や共和党の一部とも共鳴していた。
批判と限界、歴史的意義
20世紀以降、ストゥの描いた黒人像がステレオタイプを再生産しているのではないか、白人の同情に依存した視点ではないかという批判も現れた。また、実際の奴隷の多様な経験や主体的な抵抗のあり方を十分に描ききっていないとの指摘もある。それでもなお、彼女の作品が当時の読者に与えた衝撃と、奴隷制度をめぐる道徳的議論を一般市民レベルにまで広げた功績は大きい。政治的妥協や保護関税政策など経済的利害だけでは動かし難かった世論を、感情と信仰に訴える文学によって動かした点に、ストゥの歴史的意義があるといえる。