カンザスネブラスカ法|奴隷制度対立を深めた転機

カンザスネブラスカ法

カンザスネブラスカ法は、1854年にアメリカ合衆国連邦議会で成立した西部開拓地域に関する法律である。ミズーリ以西のルイジアナ買収地にカンザス準州とネブラスカ準州を設置し、そこにおける奴隷制の可否を住民投票に委ねる「人民主権」の原則を導入した点に特徴がある。この法律は、北緯36度30分以北で奴隷制を禁止したミズーリ協定を事実上破棄し、自由州奴隷州の微妙な均衡を崩したため、アメリカ社会の分裂を決定的に深める転換点となった

成立の背景

カンザスネブラスカ法成立の背景には、西部開拓の進展と大陸横断鉄道建設をめぐる思惑があった。とくにイリノイ選出の上院議員スティーヴン=ダグラスは、シカゴを起点とする北部ルートの鉄道建設を実現するため、ルイジアナ買収地を正式な準州とし政治的安定を確保する必要があると考えた。しかし、その地域に奴隷制を認めるかどうかは、すでにミズーリ協定によって原則が定められており、これを見直すことは南北両地域の利害対立を刺激する危険をはらんでいた。

法の内容と「人民主権」原則

カンザスネブラスカ法は、従来の一律な線引きによる奴隷制規制を改め、各準州の住民が自らの判断で奴隷制の可否を決定できるとした点で画期的であった。この「人民主権」原則は、一見すると民主的な妥協のようにみえたが、実際には奴隷制拡大を望む南部勢力に有利に働き、妥協よりも対立を激化させる結果をもたらした。

  • カンザス準州とネブラスカ準州の設置
  • 36度30分線にもとづくミズーリ協定の実質的な撤廃
  • 奴隷制の可否を住民投票に委ねる「人民主権」の導入

「流血のカンザス」と内戦状態

住民が奴隷制の是非を決めるとされたことで、カンザス準州には奴隷制賛成派と反対派の開拓民が競い合って流入した。南部の奴隷制擁護派は武装した集団を送り込み、北部の自由土地派や奴隷制廃止論者もこれに対抗して入植し、地域は事実上の内戦状態となった。この暴力的な対立は「流血のカンザス」と呼ばれ、後の南北戦争を先取りする局地的な武力衝突として記憶されている。ここでは、武装衝突や略奪、報復が繰り返され、国民世論は奴隷制問題の妥協不能性を痛感することになった。

逃亡奴隷法・地下鉄道運動との関係

カンザスネブラスカ法は、すでに物議を醸していた逃亡奴隷法への反発と結びつき、北部世論の対南部強硬化を促した。奴隷制拡大の危機感が高まるなかで、逃亡奴隷を北部やカナダに逃がす地下鉄道運動がいっそう活発となり、奴隷制廃止をめぐる道徳的対立は一層先鋭化した。こうして法的枠組みの改変と市民レベルの抵抗運動が相互に作用し、自由州の住民は南部の奴隷制を「国民的罪」とみなすようになっていった。

政党再編と南北対立の激化

カンザスネブラスカ法をめぐる対立は、アメリカの政党勢力図を大きく塗り替えた。従来、全国政党として妥協的立場をとってきたホイッグ党は分裂し、その北部系勢力を中心に、新たな反奴隷制政党として共和党が台頭した。一方、南部を強い基盤とする州権主義的な民主党は、奴隷制擁護と各州・各準州の自治権を唱えつつ、北部世論との乖離を深めていった。政党対立はそのまま地域対立へと転化し、やがて南北戦争へとつながる構図が明確になったのである。

歴史的意義

カンザスネブラスカ法は、一時的な政治的妥協を狙った立法であったが、結果として北米大陸における奴隷制問題を爆発的に表面化させる役割を果たした。奴隷制の拡大をめぐる妥協はほぼ不可能であることを示し、奴隷州自由州の利害衝突を不可逆的なものとした点に重大な意義がある。この法律を契機として、政治・社会・思想の各領域で対立の線が鮮明となり、アメリカ社会はもはや平和的な調停ではなく、武力による決着へと向かわざるをえなくなっていった。