グーツヘルシャフト|東欧農場領主制の支配構造

グーツヘルシャフト

グーツヘルシャフトは、主として近世期の東部ヨーロッパに広がった大土地所有者による直営農場支配の体制である。地主は広大な直営地を保有し、村落に居住する農民に対して賦役労働や年貢を強制しながら、自らの農場経営のための労働力として利用した。この体制は、自由度の高い自営農民が増加した西ヨーロッパとは対照的に、農民を土地と領主に再び強く縛りつける「第二次農奴制」と結びつき、地域固有の社会構造と国家形成に大きな影響を与えた。

用語と成立の背景

グーツヘルシャフトは原語では「Gutsherrschaft」と表記され、日本語では一般に「農場領主制」と訳されることが多い。中世以来、ヨーロッパ各地には領主の荘園経営と農民支配を基盤とする封建制が存在したが、西ヨーロッパでは中世末から都市の発展と貨幣経済の浸透により、農民が年貢を金納する傾向が強まり、賦役を負う農奴は減少した。これに対してバルト海沿岸や東エルベ地域では、16世紀以降、西ヨーロッパの穀物需要の高まりを背景に、領主が輸出用穀物生産に特化した大規模直営農場を拡大し、農民に対する支配を強化する方向へ進んだのである。

農民支配と経営のしくみ

グーツヘルシャフトの下では、村落の農民は形式上は自らの耕地を持ちながらも、その多くが領主直営地での賦役労働を義務づけられた。農民は週の一定日数、領主の畑を耕作し、収穫物は領主のものとなったうえに、自家用の畑からも年貢や諸税を納めなければならなかった。このような体制は、農民を法的・身分的に拘束する農奴制と結合し、農民の移動や結婚、売買の自由までも領主の許可に服させるなど、強い人格的支配を特徴とした。領主は村の裁判権や警察権も掌握し、村落社会全体が大農場の従属的な一部として組み込まれていった。

地域的展開と東部ヨーロッパ

グーツヘルシャフトが典型的に見られたのは、エルベ川以東のドイツ領邦やポーランド、ボヘミア、バルト海沿岸地域などである。ブランデンブルク=プロイセンなどの諸領邦では、大貴族層が広大な荘園を所有し、穀物や木材などをバルト海貿易を通じて輸出した。こうした地域は、後に統一国家として形成されるドイツの一部を構成しつつも、西ヨーロッパとは異なる社会経済的な発展経路をたどったとされる。都市の自立性や市民層の力量が比較的弱かったことも、大土地所有者による支配を長期化させる要因となった。

商業・物価の変動との関係

16世紀以降、アメリカ大陸からヨーロッパにもたらされた銀の流入と人口増加は、ヨーロッパ全体の物価を押し上げた。この物価上昇は、穀物など農産物価格の高騰として現れ、領主にとっては市場への販売利益を高める好機となった。このような国際的な商業の拡大は一般に商業革命と呼ばれ、銀の流入に伴う長期的な物価上昇は価格革命として知られている。東部ヨーロッパの領主は、この有利な市況を活かすために直営地を拡大し、農民の賦役を強化することで、輸出用穀物生産を増大させた結果、グーツヘルシャフトが一層固定化されたのである。

資本主義的世界経済との関連

近世の国際分業構造を論じた研究では、西ヨーロッパの工業・金融中心地域と、原料・食糧を供給する周辺地域との関係が重視される。東部ヨーロッパのグーツヘルシャフトは、工業製品や金融資本を供給する西欧の「中心」と、穀物など一次産品を供給する「周辺」との結合の一環として理解され、初期の資本主義的世界経済の形成に組み込まれたとされる。穀物輸出によって得た収益は領主の富を増大させたが、農民側には自立的な蓄積の機会が乏しく、社会構造は固定化しやすかった。

世界の一体化と東部ヨーロッパ

大西洋・地中海・バルト海を結ぶ交易網が発達し、ヨーロッパ諸地域が互いに依存関係を深めていく過程は、「世界の一体化」の一局面として捉えられる。西ヨーロッパの都市と商人資本は、遠隔地取引を通じて穀物や原料を求め、その需要に応える形で東部ヨーロッパのグーツヘルシャフトが強化された。こうして近世ヨーロッパでは、地域間の格差と分業が国際市場の枠組みの中で再編成され、のちの産業革命や国民国家形成にも影響を与える長期的な社会経済構造が形づくられていったのである。