オスマン主義
概説
オスマン主義は、近代末期のオスマン帝国において、多民族・多宗教の住民を単一の「オスマン臣民」として統合し、帝国の解体を防ごうとした政治理念である。イスラーム教徒とキリスト教徒、トルコ人・アラブ人・ギリシア人・アルメニア人などを、宗教や民族ではなく共通の国籍と法的平等によって結びつけることをめざした点に特徴がある。強まる民族主義運動や列強の干渉に対抗しつつ、近代的な立憲国家を形成しようとする試みとして構想されたのがオスマン主義であり、のちのトルコや中東諸国の国民国家形成にも重要な影響を与えた。
歴史的背景
オスマン主義が登場した背景には、帝国の衰退と領土の縮小があった。ロシアやオーストリアとの戦争に敗北したオスマン帝国は、列強の干渉のもとで国家改革を迫られ、19世紀にはタンジマートと呼ばれる大規模な近代化政策を実施した。1839年のギュルハネ勅令、1856年の改革勅令はいずれも、ムスリムと非ムスリムの法的平等を宣言し、徴税や軍役、裁判制度などの面で差別撤廃を掲げた。これらの改革は、宗教共同体ごとの身分秩序に依拠してきた旧来の統治原理を揺るがせ、新たな統合理念としてオスマン主義を必要とする状況を生み出したのである。
思想的特徴
オスマン主義は、フランス革命後の市民平等思想や国民国家論の影響を受けつつ、それをイスラーム帝国の文脈に翻訳しようとする試みであった。そこでは、宗教共同体や民族を超えた「オスマン国民」の創出が目標とされた。具体的には、共通の国籍法に基づく市民権の付与、議会制と憲法による統治、教育を通じた共通言語と歴史観の普及などが構想された。若オスマンと呼ばれる知識人層は、ヨーロッパの自由主義・立憲主義思想を学びつつ、イスラームの教えと調和する形で正当化し、シャリーアと憲法を両立させる政治理念としてオスマン主義を位置づけた。
第一次立憲制とオスマン主義
1876年に始まる第一次立憲制では、憲法制定と議会開設を通じてオスマン主義が制度的に表現された。憲法は法の下の平等や議会による代表を掲げ、帝国内の諸民族に対して、宗教・出自を問わずオスマン臣民としての地位を与えることをうたった。しかし、露土戦争や列強の干渉に直面すると、スルタンは議会を停止し専制を強めたため、憲法体制は短命に終わる。こうしてオスマン主義は、一度は公式理念として採用されながらも、戦争と外交危機によって後景に退かざるをえなかった。
青年トルコと統一と進歩委員会
19世紀末から20世紀初頭になると、亡命知識人や軍人からなる青年トルコ運動が広がり、その中核組織である統一と進歩委員会が再び憲政復活とオスマン主義を掲げた。1908年の青年トルコ革命によって第二次立憲制が開始されると、立憲制と議会主義に基づく統合理念としてオスマン主義が標語的に用いられた。しかし、実際にはバルカン諸民族の分離運動が加速し、帝国支配層内部でもトルコ人中心の民族主義傾向が強まっていったため、全臣民を平等に包摂するという理想は次第に空洞化していく。
パン=イスラーム主義・民族主義との関係
オスマン主義は、イスラーム共同体の連帯を重視するパン=イスラーム主義や、トルコ人の民族意識を強調するトルコ民族主義と複雑に競合した。スルタン制が強かった時期には、スルタンを全ムスリムの指導者とみなすパン=イスラーム的傾向が優位となり、非ムスリムを含む平等な市民共同体を志向するオスマン主義とは緊張関係に立った。一方で、バルカン戦争や第1次世界大戦を通じて帝国が縮小すると、トルコ人中心の民族国家構想が現実味を帯び、全臣民統合をめざすオスマン主義の立場は後退した。
アフガーニーとイスラーム改革思想
イスラーム世界全体の覚醒を訴えたアフガーニーや、その思想を継承したムハンマド=アブドゥフらの改革思想は、直接オスマン主義を提唱したわけではないが、イスラームと近代思想の調和を模索する点で共通していた。彼らは専制と停滞を批判し、教育改革や立憲制の導入を通じてイスラーム社会を再生させようとした。このような汎イスラーム的・改革主義的潮流は、西アジアや北アフリカにおける立憲運動・民族運動と結びつき、西アジアの民族運動と立憲運動全体の思想的土壌を形成した。その一環として、帝国内部ではオスマン主義もまた、近代国家建設の有力な選択肢として浮上したのである。
オスマン主義の限界と歴史的意義
オスマン主義は、法的平等と国籍に基づく統合理念として先駆的であったが、現実にはいくつかの限界を抱えていた。第一に、バルカン諸民族やアラブ知識人のあいだで民族主義が成熟し、独自の国民国家を指向する動きが強まっていたこと、第二に、列強がキリスト教徒保護を名目に帝国内政へ干渉し、対立を煽ったこと、第三に、帝国の統治機構や社会構造が依然として宗教共同体ごとの区分に依拠しており、市民平等の理念を具体化する制度改革が不十分だったことである。それでもなおオスマン主義は、立憲制・議会制・市民権といった近代政治のキーワードをイスラーム圏にもたらし、のちのトルコ共和国や周辺諸国の国家建設に深い影響を残した思想として位置づけられる。