酸洗い
酸洗い(さんあらい、pickling)とは、金属表面に生じた酸化皮膜やさび、スケールを酸溶液で化学的に溶かし、素地を露出させる表面処理である。鉄鋼業では熱間圧延後の鋼板に付着した黒皮(ミルスケール)を除去する工程として欠かせない。めっきや塗装、冷間圧延の前処理としても広く行われている。使う酸は対象金属によって異なり、普通鋼では塩酸や硫酸、ステンレス鋼では硝酸とふっ酸の混酸が代表的である。
硫酸から塩酸へ移った歴史
金属を酸に浸して清浄にする技法は古くから知られ、19世紀の線材やブリキの製造現場ではすでに硫酸浴が使われていた。硫酸は安価で取り扱いやすく、長く主流の座にあった。転機は1960年代である。欧州で使用済み塩酸を焙焼して再生する技術が実用化されると、鋼帯の連続ラインは硫酸系から塩酸系へと急速に置き換わった。日本の高炉メーカーも1960年代後半から塩酸ラインを相次いで導入し、現在の大型連続ラインでは通板速度が毎分200〜300mに達する。
スケールの構造と溶解反応
熱延鋼板の表面には、外側からヘマタイト(Fe2O3)、マグネタイト(Fe3O4)、ウスタイト(FeO)の3層からなるスケールが形成される。厚さは巻取温度にもよるが、おおむね5〜15µm程度である。塩酸による酸洗いでは、主に次の反応が進む。
FeO + 2HCl → FeCl2 + H2O
Fe3O4 + 8HCl → FeCl2 + 2FeCl3 + 4H2O
Fe + 2HCl → FeCl2 + H2↑
3番目の式は地鉄そのものが溶ける反応であり、本来は望ましくない。ただし実際には、スケールの割れ目から浸入した酸が地鉄との界面を溶かし、発生した水素ガスがスケールを下から押し上げて剥離を助けている。溶かすだけでなく「浮かせて落とす」作用が同時に働く点は、教科書では見落とされやすい。
酸の種類による違い
酸の選定は、母材の材質、求める仕上がり、廃液処理の設備によって決まる。代表的な酸の条件を下表に示す。数値は一般的な目安であり、ラインや製品によって幅がある。
| 酸の種類 | 主な対象 | 濃度の目安 | 浴温の目安 | 特徴 |
|---|---|---|---|---|
| 塩酸 | 普通鋼板・鋼帯 | 5〜20% | 常温〜85℃ | 溶解速度が速く、仕上がりが明るい。酸の再生が可能 |
| 硫酸 | 線材・鋳物 | 10〜20% | 60〜80℃ | 安価だが加温が必要。硫酸鉄の結晶が析出しやすい |
| 硝酸+ふっ酸 | ステンレス鋼・チタン | 硝酸10〜20%、ふっ酸1〜5% | 常温〜60℃ | 強固な酸化皮膜も除去できる。排水処理の負担が大きい |
| りん酸 | 塗装前の軽度なさび | 5〜15% | 常温〜60℃ | 表面にりん酸塩が残り、塗膜の密着性が向上する |
ステンレス鋼の場合
ステンレス鋼のスケールはクロム酸化物を含むため、塩酸単独では落としにくい。そこで硝ふっ酸が用いられ、酸洗い後には表面に不動態皮膜が再生する。溶接部の焼け色を落とす目的では、ペースト状の酸洗い剤を刷毛で塗る方法が現場で多用されている。
インヒビターと水素脆化
酸洗いの品質管理で最も神経を使うのが「過酸洗い」である。スケールが落ちた後も酸に浸け続けると地鉄が溶け、表面が荒れるうえに酸の消費量も増える。これを抑えるため、浴にはインヒビター(腐食抑制剤)を0.1〜0.5%程度添加し、地鉄の溶解だけを選択的に遅らせる。もう一つの問題が水素脆化である。反応で生じた原子状水素が鋼中に侵入すると、引張強さがおよそ1000MPaを超える高強度ボルトやばね材では遅れ破壊の原因となる。そのため、電気亜鉛めっきの規格JIS H 8610などでは、めっき前後に190〜220℃程度で数時間加熱する「ベーキング」処理が規定されている。
製造現場での運用とコスト
鋼材市場では、酸洗い後に防錆油を塗った鋼板を「P/O材(Pickled and Oiled)」と呼ぶ。価格は熱延黒皮材と冷延鋼板の中間に位置し、黒皮材よりトン当たり数千円高いのが通例とされる。自動車のホイールやシャシー部品、プレス加工品に好まれるのは、冷延材ほどコストをかけずに塗装・溶接性を確保できるためである。
浴の管理も実務上の要点となる。塩酸浴では溶け出した鉄分が増えるほど溶解速度が落ちるため、鉄濃度がおよそ100〜150g/Lに達した段階で液を更新するのが一般的である。中小の加工工場では浸漬時間を5〜30分の範囲で調整し、引き上げ後は直ちに水洗・中和・乾燥を行う。この間に数分でも放置すると、表面に黄さび(戻りさび)が発生し、後工程のめっきで不良につながる。スマットと呼ばれる黒い付着物が残る場合は、ブラシ洗浄や電解処理を追加して取り除く。
廃酸処理と環境規制
使用済みの酸は、法令上産業廃棄物のうち「廃酸」に分類される。大型の塩酸ラインでは、廃液を噴霧焙焼して塩酸を回収し、同時に生成する酸化鉄をフェライト磁石の原料として販売する仕組みが確立している。排水を公共用水域へ流す場合は水質汚濁防止法の基準が適用され、pHは5.8〜8.6、ふっ素およびその化合物は海域以外で8mg/L以下に抑えなければならない。硝ふっ酸を扱う事業所では、カルシウム塩でふっ素を沈殿させる設備が事実上必須となり、これが処理コストを押し上げる要因になっている。
機械的除去との比較
スケール除去の手段には、ショットブラストのような機械的方法もある。ブラストは廃酸が出ない反面、薄板では歪みが生じやすく、複雑形状の内面には投射材が届かない。酸洗いは液が触れる部分を均一に処理できるため、薄物や管の内面に強い。現場では、厚物構造材はブラスト、薄板や精密部品は酸洗いと使い分け、腐食対策の塗装仕様とあわせて工法を決めることが多い。
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