円本全集|昭和初期に流行した一冊一円の全集

円本全集

円本全集とは、1926年(大正15年)末から昭和初期にかけて、日本の出版業界を席巻した1冊1円の低価格予約出版による全集類の総称である。出版社である改造社が、起死回生の策として打ち出した『現代日本文学全集』がその端緒となり、当時のタクシー(円タク)になぞらえて「円本」と俗称された。このブームは、それまで一部の特権階級や知識層に限られていた読書習慣を大衆へと開放し、日本の近代的な出版流通網や大量生産体制の確立に決定的な影響を与えた。同時に、執筆者への多額の印税収入をもたらし、近代文学の経済的基盤を強固なものとした出版史上極めて重要な現象である。

円本誕生の背景と社会情勢

円本全集が登場した背景には、第一次世界大戦後の慢性的な経済不況と、1923年(大正12年)の関東大震災による出版界の壊滅的な打撃があった。当時の書籍は1冊2円から3円程度と高価であり、一般庶民にとっては容易に手の届くものではなかった。一方で、大正デモクラシーの進展や義務教育の普及により、都市部を中心に「サラリーマン」と呼ばれる新たな中流階級が増大し、文化的な充足を求める知的欲求が高まっていた。このような潜在的な需要に対し、大正時代末期の閉塞感を打破すべく、改造社の社主・山本実彦が「全巻予約制・1冊1円」という破格のビジネスモデルを提示したことで、爆発的な普及が実現することとなった。

主要な全集と出版社の競合

ブームの火付け役となった改造社の『現代日本文学全集』は、全37巻(後に増巻)の構成で、当初の予想を遥かに上回る30万部以上の予約を獲得した。この成功を目の当たりにした他社も次々と参入し、出版界は激しい「円本合戦」の様相を呈した。新潮社は『世界文学全集』で対抗し、平凡社は『現代大衆文学全集』を刊行して、それぞれ数十万部の予約を集めた。収録対象は多岐にわたり、夏目漱石や芥川龍之介、菊池寛、谷崎潤一郎といった当時の文壇を代表する作家たちの作品が、一斉に一般家庭の書棚へと送り込まれることとなったのである。この激しい競争は、新聞紙面を埋め尽くす大規模な広告宣伝活動を伴い、近代的なマーケティング手法の先駆けともなった。

社会的・文化的影響と作家への恩恵

円本全集の普及は、日本の読書文化を根本から変容させた。大量生産を前提とした「予約出版」という形式は、出版社の資金繰りを安定させ、印刷・製本技術の向上や用紙の大量発注によるコストダウンを可能にした。また、作家に支払われる印税は、それまでの部数比例制とは異なり、予約数に基づく巨額の現金が一度に支払われるケースが多かった。これにより、多くの作家たちが経済的な自立を果たし、その後の文壇の活性化に寄与した。しかし一方で、一度に大量の知識や物語が安価に供給されたことで、読者の側には「所有すること」自体に満足する傾向も現れ、内容の消化が追いつかないという文化的な飽和状態を招いた側面も否定できない。

円本の終焉と文庫時代の幕開け

1920年代後半に絶頂を迎えた円本全集ブームは、1930年(昭和5年)頃を境に急速に沈静化していった。理由としては、各社が類似の企画を乱発したことによる市場の過飽和や、昭和恐慌の深化による消費者の購買力低下が挙げられる。また、全集という大部な形態に対し、より手軽で安価な出版形式への需要がシフトしていったことも要因の一つである。1927年(昭和2年)には岩波書店が「万人のための古典」を掲げて岩波文庫を創刊しており、円本で培われた大量出版・大量消費の土壌は、やがて文庫本や新書といったコンパクトな出版形態へと引き継がれていくことになった。円本全集は短期間のブームに終わったものの、それが遺した巨大な読者層と流通システムは、現代日本の出版文化の礎となったのである。

出版史における意義

今日における百科事典や学習全集、あるいはデジタルアーカイブの普及といった知識の普及活動の原点として、円本全集を評価する視点は重要である。一冊の価格を劇的に下げることで情報の非対称性を解消しようとしたこの試みは、単なる商業的成功に留まらず、日本人のリテラシー向上に多大な貢献を果たした。予約購読という形で読者を組織化し、継続的な出版を保証する仕組みは、現在のサブスクリプション型サービスにも通じる先駆的な合理性を備えていたと言える。