伊都国|倭国連合を支えた大陸外交の玄関口

伊都国

伊都国(いとこく / いとのくに)は、3世紀に編纂された中国の歴史書『魏志倭人伝』に記録されている倭人の国の一つである。現在の福岡県糸島市から福岡市西部の糸島半島周辺に位置していたと比定されており、弥生時代における倭国連合の中でも特に重要な政治的・軍事的拠点であった。大陸からの使節や文物が上陸する交通の要衝であり、女王・卑弥呼が治める邪馬台国に服属しながらも、世襲の王を抱え、倭諸国の検察を行う「一大率」が置かれるなど、特殊な地位を確立していたことが考古学的な発掘調査からも裏付けられている。

地理的状況と比定地

伊都国の所在地は、古くから現在の糸島平野(糸島市および福岡市西区)に比定されている。ここは玄界灘に面し、西側の末盧国(現在の佐賀県唐津市付近)から上陸した大陸の使節が、博多湾方面の奴国へと向かう際の陸路の結節点にあたる。糸島平野は三方を山に囲まれ、北に海が開けた肥沃な平野であり、小規模ながらも独立した政治単位を維持するのに適した地形であった。地名についても、古代の「伊覩(いと)県」が現在の「糸島(いとしま)」に受け継がれていると考えられており、比定地としての信頼性は極めて高い。

『魏志倭人伝』における記述

魏志倭人伝』によれば、伊都国は「一支国」から海を渡り「末盧国」に至った後、陸路を東南へ500里進んだ場所に位置するとされる。戸数は1,000余戸とされ、近隣の奴国(2万余戸)や投馬国(5万余戸)と比較すると人口規模は小さいが、他の倭の国々が「長」によって統治されているのに対し、伊都国には代々王が存在すると明記されている。また、郡使(中国からの使節)が往来する際には常にこの地に留まるとされており、倭国全体における外交の窓口としての機能を有していたことが窺える。

一大率の設置と外交的役割

伊都国の政治的地位を象徴するのが「一大率(いちだいそつ)」の存在である。これは邪馬台国の女王によって派遣された役人とされ、伊都国に駐在して諸国を検察(監視)し、諸国がこれに畏服していたと記されている。一大率の権限は強大であり、大陸からの使節が持参した文書や賜物の点検も行っていた。このように伊都国は、地方国家でありながら女王国の出先機関としての性格を併せ持ち、朝鮮半島や中国王朝との交渉を管理する極めて重要な「倭の関所」であった。

考古学的遺構と王墓の発見

伊都国の比定地からは、当時の繁栄を物語る大規模な遺跡が多数発見されている。特に三雲・南小路遺跡や井原鑓溝遺跡、平原遺跡などは、代々の伊都国王の墓と目されている。これらの墳丘墓からは、当時としては破格の量となる大陸製の青銅鏡や装身具が出土している。以下は、主要な遺跡の概要をまとめたものである。

遺跡名 所在地 主な出土品 特徴
三雲・南小路遺跡 糸島市三雲 前漢鏡35面以上、銅剣、銅矛、ガラス壁 伊都国の最盛期を示す王墓。大陸との強い繋がりを示す。
井原鑓溝遺跡 糸島市井原 後漢鏡21面以上、巴形銅器 「魏志倭人伝」の時代に近い王墓と推定される。
平原遺跡(平原王墓) 糸島市有田 超大型青銅鏡(直径46.5cm)、内行花文鏡、大量の勾玉 被葬者は女性とする説があり、祭祀王的な性格が強い。

平原王墓と「太陽の鏡」

1965年に発掘された平原1号墓(平原王墓)は、伊都国の考古学的評価を決定づけた。この墓からは合計40面もの青銅鏡が出土しており、その中には直径46.5センチメートルに達する「超大型内行花文鏡」が5面含まれていた。これは日本国内で出土した青銅鏡の中で最大級のものである。被葬者の副葬品には武具がほとんどなく、代わりに大量の勾玉や管玉、メノウ玉といった装飾品が並んでいたことから、伊都国において宗教的な権威を持つ「女王」的な存在が統治していた可能性も指摘されている。これらの遺物は、伊都国が単なる軍事拠点ではなく、高度な精神文化と祭祀を司る中心地であったことを示唆している。

経済基盤と対外貿易

伊都国の経済は、肥沃な平野部における稲作農業と、博多湾から玄界灘を通じて大陸へと至る海上貿易によって支えられていた。発掘された土器の中には、楽浪郡などの大陸や朝鮮半島系の特徴を持つものが含まれており、人の往来が頻繁であったことを裏付けている。また、魏の皇帝から贈られた「親魏倭王」の金印や鏡などの賜物の一部は、まず伊都国に運び込まれ、そこで検品・管理された後、邪馬台国へと届けられたと考えられる。こうした物流のコントロールが、伊都国の財政的・政治的な優位性を維持する要因となっていた。

古墳時代への移行とその後

4世紀に入り、倭国内の政治構造が変化すると、伊都国のような独立性の強い地域国家は、次第に近畿地方を拠点とするヤマト王権の支配体系に組み込まれていった。しかし、糸島地方にはその後も大規模な前方後円墳が築かれ続け、地域的な有力豪族の存在が確認できる。律令制下においては「伊覩郡」として整備され、筑前国の一部となった。古代から現代に至るまで、糸島という地名は、かつての伊都国が築いた歴史的伝統を色濃く残している。今日では、糸島市歴史博物館を中心に、往時の王国の栄華を伝える研究と展示が続けられている。

  • 大陸・半島との窓口としての地理的優位性
  • 代々の王が君臨する独自の政治組織
  • 一大率による倭諸国の広域監視機能
  • 大量の青銅鏡を伴う豪華な王墓群