張作霖爆殺事件|関東軍が暗躍した爆弾事件

張作霖爆殺事件

張作霖爆殺事件は、1928年6月4日に奉天郊外の皇姑屯付近で発生した爆破事件であり、奉天軍閥の支配者であった張作霖を日本の関東軍が秘密裏に暗殺したとされる出来事である。中国東北地方(旧東三省)における勢力図を一変させ、日本の大陸政策と中国統一運動の行方に大きな影響を与えた事件として位置づけられる。

背景―東三省と張作霖の勢力

清朝崩壊後の中国では軍閥割拠が進み、東北地方では奉天軍閥の長である張作霖が支配権を握っていた。張作霖は日本の支援を受けながらも、しばしば独自の行動を取る現実主義者であり、日本側の思惑通りには動かない存在になりつつあった。一方で日本は、南満州鉄道の利権や治安維持を口実に、関東軍と日本陸軍将校団を通じて満州への影響力を拡大させていたが、中国国内では国民革命の進展により、国民党勢力の統一政権樹立が現実味を帯びつつあった。

国民革命と日本の危機感

1920年代半ば以降、孫文・蒋介石らが主導する国民革命は、北伐を通じて北洋軍閥勢力を各地で打倒し、国民党による中国統一を目指していた。東北においても、張作霖が率いる奉天軍閥が最終的な標的になると見込まれており、これが満州に経済的・軍事的利害をもつ日本の強い危機感を呼び起こした。日本政府内部では、張作霖を活用して情勢を静観しようとする穏健論と、より積極的に軍事力で秩序を再編しようとする強硬論が対立し、その最前線にいたのが現地の関東軍であった。

事件直前の情勢と関東軍の計画

1928年春、日本軍は山東に出兵し、山東出兵と呼ばれる行動を取っていた。これは北伐軍と日本人居留民との衝突や、済南事件などの事態を背景にしたもので、中国国内の反日感情を一層高める結果となった。こうした状況の中で、関東軍内部には、張作霖を排除し、より日本に従順な政権を満州に樹立すべきであるとする過激な構想が強まったとされる。その一環として、帰路にある張作霖の列車を爆破する計画が秘密裏に立案された。

皇姑屯での爆破―事件の経過

  1. 1928年6月4日未明、北京から奉天へ帰還する張作霖を乗せた特別列車が、奉天郊外の皇姑屯付近にさしかかった。
  2. 線路の一部には、あらかじめ爆薬が仕掛けられており、列車通過のタイミングで爆破が行われた。
  3. 爆発により車両は大破し、張作霖は重傷を負いまもなく死亡した。一方、関東軍は公式には「犯人不明の爆破事件」として処理し、自らの関与を否定した。

当時の日本政府は、行財政の緊縮と協調外交を掲げる政党内閣であり、独断専行した軍部行動との間に大きなねじれが生じていた。この皇姑屯での爆破は、そのねじれが露呈した典型例であった。

日本政府と軍部の対立

事件後、日本国内では真相究明のための調査が行われ、関東軍や一部将校団の関与が強く疑われた。しかし、軍部の抵抗や証拠不足などを理由に、最終的に明確な責任追及には至らず、処罰も限定的なものにとどまった。この過程は、政党内閣と日本陸軍との力関係において、軍部が強い自律性を保っていることを示し、のちの満州事変や日中戦争へとつながる軍部独走の前例となったと評価されることが多い。

張学良の台頭と易幟

父を失った張学良は、東北軍の後継指導者として台頭した。当初、日本側は張学良を通じて従来の奉天軍閥支配の継続を期待したが、国際世論や中国国内の反発の中で、張学良は次第に日本から距離を取り、南京国民政府との関係を強めていった。1928年末、彼は国民政府の国旗を掲げる「易幟」を宣言し、名目上東北地方は南京の統一政権に服属することとなった。これは、日本が期待した満州の分離独立路線が挫折し、国民政府による形式的な全国統一が達成される大きな転換点であった。

国際関係とその後への影響

この事件は、中国側からは日本による主権侵害かつテロ行為として強く非難され、列強諸国も日本の行動に疑念を抱くことになった。とりわけ、協調外交を基調としていた日本の対外イメージは損なわれ、国内では政党政治の権威低下と軍部への依存増大を招いたとされる。一方中国側では、軍閥支配の象徴的存在が消えたことで、国民党中心の政治統一が進展し、その過程で南京政権の権威が高まった。しかし満州における日本と中国の対立構造自体は解消されず、やがて1931年の満州事変と満州国樹立へとつながっていく。

歴史的評価

本事件は、軍部が政府の統制を離れて独自に対外行動を起こした先駆例として、日本近代史の中でしばしば論じられてきた。また、中国側から見れば、軍閥時代の終焉と国民政府による形式的統一への転換点であり、東北をめぐる日中対立の序章として位置づけられる。満州における日本の権益維持、国民革命の進展、軍閥割拠の終息という複数の要素が交錯した結果生じた事件であり、その後の東アジア国際秩序を理解する上で欠かせない歴史的出来事である。