オレゴン|米英の境界争いの舞台

オレゴン

オレゴンは、アメリカ合衆国太平洋岸北西部に位置する州であり、カナダのブリティッシュ=コロンビア州、ワシントン州、アイダホ州、カリフォルニア州などと接する。首都はセイラム、最大都市は港湾都市ポートランドで、森林・海岸・山岳・火山・砂漠といった多様な自然環境を併せ持つ点に特色がある。19世紀には、アメリカの領土拡大マニフェスト=デスティニーの象徴的地域のひとつとして、合衆国の西方進出を体現した地域でもある。

地理的位置と自然環境

オレゴンは西を太平洋に面し、州北部を大河コロンビア川が流れてワシントン州との境界をなす。州中央部にはカスケード山脈が南北に走り、その西側にはウィラメット渓谷の肥沃な平野が広がり、農業と都市が集中する。東部は高原性の乾燥地帯で、牧畜や小麦栽培が展開されてきた。火山活動に由来するクレーター・レイクなどの景勝地も多く、今日の観光資源となっている。豊富な森林資源は、20世紀前半まで木材産業の基盤となり、太平洋岸の製材・造船とも結びついた。

先住民社会の歴史

オレゴンには、ヨーロッパ人の到来以前から、多数の先住民集団が生活していた。沿岸部や川沿いではサーモン漁や交易に基づく文化が発達し、プラトー文化や北西海岸文化圏に属する多様な言語・社会組織が存在した。19世紀に入ると毛皮交易商人や宣教師、開拓民の進出により、疫病や土地の喪失、強制移住が進行し、条約締結と保留地政策を通じて先住民社会は大きく再編された。この過程は、北米全体における先住民征服と同様の構造を持つ点で、アメリカ史の中で位置づけられる。

オレゴン・カントリーと米英の係争

19世紀前半、今日のオレゴンとその周辺は「オレゴン・カントリー」と呼ばれ、アメリカ合衆国とイギリスが共同占有する形となっていた。海上から進出したイギリス系毛皮会社と、内陸からミズーリ方面を経由して到達したアメリカ商人・開拓民が勢力を競い、外交上の領土画定が大きな課題となった。合衆国では、西方への拡大を正当化するマニフェスト=デスティニー思想が浸透し、「54度40分か、戦争か」といった強硬なスローガンも現れたが、1846年の米英条約によって国境線は北緯49度で妥結した。この領土問題は、アメリカ外交の基本方針としてのモンロー主義モンロー教書とも関連づけられ、大陸内の勢力圏確立という文脈で理解される。

オレゴン道と開拓民の移住

19世紀半ば、多くの入植者が中西部からオレゴンへ移住するために利用した幹線路が「オレゴン道」である。幌馬車隊は、ミズーリ川流域からロッキー山脈を越え、数千kmの道のりを数か月かけて進んだ。この移住の波は、同時期のテキサス併合や西南部獲得と並んで、アメリカの領土拡大を具体化する運動であった。過酷な旅路と疫病、先住民との緊張関係など、多くの犠牲を伴いつつも、ウィラメット渓谷には農業コミュニティが形成され、後の州形成の基盤となった。

準州から州への道程

1848年、合衆国はオレゴン準州を設置し、行政機構と法制度の整備を進めた。その後、金鉱発見で人口が急増したカリフォルニアとは異なり、オレゴンでは家族単位の農業移民が中心で、比較的安定した社会構造が築かれた。南北戦争前夜には、奴隷制拡大をめぐる争点が準州政治にも影響を与え、自由州としての編入かどうかが議論されたが、1859年に自由州として合衆国に加盟した。連邦レベルの政党政治では、民主党ホイッグ党(アメリカ)の対立、さらには共和党の台頭が住民の政治意識にも波及し、西部における政党システム形成の一端を示している。

ジャクソニアン政治文化との連続性

オレゴン社会には、開拓民の平等主義や多数者支配を重んじる政治文化が根強く、これは東部で形成されたジャクソニアン=デモクラシーの延長として理解されることが多い。ジャクソン大統領に象徴される大衆民主主義は、西部移住者の政治参加を促し、地方選挙や自治制度を通じて具現化された。他方で、支持者に官職を配分するスポイルズ=システム的な要素もみられ、地方政治における人的ネットワークと職業政治家の台頭という側面も指摘される。

経済発展と産業構造

20世紀に入ると、オレゴンの木材産業は世界市場向け輸出を行う大企業へと成長し、港湾や鉄道インフラの整備が進んだ。第二次世界大戦期には造船や軍需産業が拡大し、ポートランド周辺は労働者と移民が流入する工業地帯となった。戦後は木材依存からの脱却が課題となり、高速道路網と空港整備を背景に、ハイテク産業やサービス業が成長していく。いわゆる「シリコン・フォレスト」と呼ばれる電子・情報関連企業の集積は、自然環境と先端産業が併存する州イメージを形成した。農業面でも、ブドウ栽培とワイン産業、ホップ栽培や有機農業など、多様な産品が州経済を支えている。

現代のオレゴンの社会と政治文化

現代のオレゴンは、環境保護や市民参加を重視する進歩的な政治文化で知られる。森林伐採規制や海岸線の公共利用、ボトル法などの環境立法は、自然保護と経済活動のバランスを模索する試みである。また、住民発議や国民投票といった直接民主制的制度が活発に利用され、税制・薬物政策・医療・教育などをめぐって頻繁に住民投票が行われてきた。一方で、ポートランドやウィラメット渓谷の都市部と、農村・山間部との間には政治的・社会的な対立も存在し、アメリカ社会全体にみられる都市と地方の分断が、オレゴンにも反映されている。このように、同州は西部開拓の歴史と現代的な社会問題が交差する地域として、アメリカ史・地域研究の双方にとって重要な位置を占めている。