運上所|近世の税関で貿易事務を担った役所

運上所

運上所(うんじょうしょ)は、江戸時代から明治初期にかけて、日本各地の開港場や主要都市に設置された、輸出入貨物の管理、関税の徴収、外交事務などを司った公的な役所である。現在の税関の前身にあたる機関であり、日本の国際社会への復帰と近代化において極めて重要な役割を果たした。元々は江戸時代の中期以降、特定の営業許可を得た商工業者から徴収する税である「運上」を扱う窓口を指していたが、幕末の開国を機にその性格が大きく変容した。1858年の安政五カ国条約締結によって、神奈川(横浜)、長崎、箱館などの開港場が指定されると、幕府は外国との貿易を円滑に進め、同時に密貿易を監視するための拠点として運上所を整備した。1872年(明治5年)には、全国の運上所の呼称が「税関」へと統一され、その歴史に幕を閉じることとなったが、その組織構造や実務慣行の多くは近代税関制度へと引き継がれた。

運上の意義と初期の体制

江戸時代における「運上」とは、農業以外の諸産業、すなわち漁業、工業、商業などに従事する者に対して、その収益の一部を一定の割合で納めさせた租税を指す。これに対し、特定の特権(独占営業権など)の代償として上納されたものは冥加(冥加金)と呼ばれ、両者は幕府や諸藩の重要な財源となった。当初、運上所という名称はこれら運上金を徴収する窓口全般を指していたが、特に海上交通の要衝においては、船舶の入出港管理や積荷の検査も併せて行われるようになった。徳川幕府の直轄地であった長崎では、古くから長崎会所などの組織が対外貿易を管理していたが、幕末に至り外国船の来航が頻発するようになると、これら旧来の組織が再編され、より専門的な運上所へと発展していった。当時の運上所は単なる税金徴収機関にとどまらず、居留地の管理や外国官憲との折衝、さらには港湾内の治安維持までをも担う総合的な行政機関であった。

幕末の開港と運上所の変遷

1854年の日米和親条約、そして1858年の日米修好通商条約をはじめとする安政の諸条約により、長らく続いた鎖国体制は終わりを告げた。これにより、横浜、長崎、箱館、兵庫、新潟の五港が開港されることとなり、各港には外国事務を司る外国奉行が配置され、その実務機関として運上所が設置された。特に1859年に開港した横浜運上所は、当時の日本における最大の貿易拠点として急速に規模を拡大した。ここでは、輸入品に対する関税の徴収だけでなく、貨物の検分、密輸の取り締まり、さらには通貨の交換業務なども行われていた。当時の関税率は、当初は一律であったが、1866年の改税約書によって従価税から従量税へと変更され、より組織的な関税体系へと移行していった。

主要な開港場における設置状況

各地の運上所は、その地域の政治的・地理的特性に応じて独自の発展を遂げた。例えば、神奈川運上所(横浜)は、江戸に最も近い開港場として、幕府の外交政策の最前線となった。一方で、箱館運上所は北方の警備やロシアとの交渉という特殊な任務を帯びていた。これらの拠点は、単に制度としての運上所が置かれた場所というだけでなく、西洋の新しい技術や情報が流入する窓口でもあった。

  • 神奈川運上所:1859年設置。現在の横浜税関の前身。
  • 長崎運上所:1863年、長崎会所を改称。出島周辺の貿易を統括。
  • 箱館運上所:1859年設置。函館税関の前身。
  • 兵庫運上所:1868年設置。神戸港の開港に伴い設置。

明治新政府への継承と税関の誕生

明治維新という激動の時代を経て、新政府は幕府が確立した運上所の仕組みをそのまま継承した。新政府にとっても、関税は地租に次ぐ重要な財源であり、かつ国権の独立を示す外交上の重要課題でもあった。当初、運上所は外国事務局や外国官、あるいは外務省の管轄下に置かれていたが、1871年(明治4年)に大蔵省の管轄へと移管された。これにより、財政行政の一環として関税徴収体制が全国的に一元化される基盤が整った。1872年11月28日(明治5年10月28日)には、各港でバラバラであった名称を「税関」に統一することが決定された。この11月28日は、現在でも「税関記念日」として定められている。運上所から税関への改称は、単なる呼称の変更にとどまらず、封建的な徴税組織から、近代的国家機構としての関税官庁への脱皮を象徴する出来事であった。

運上所の組織と実務

運上所の内部組織は、長官である運上所頭取(後の税関長)を中心に、鑑定、検査、門衛などの各部署に分かれていた。鑑定官は貨物の種類や品質を見極めて課税額を算出し、検査官は不正な貨物が混入していないかを確認した。また、初期の運上所では英語やオランダ語の通詞が常駐し、外国人商人との交渉を仲介していた。運上所で使用されていた帳簿類や印章は、江戸時代の伝統的な形式と西洋式の会計概念が混在しており、当時の日本が直面していた文明開化の縮図を見ることができた。

役職名 主な職務内容 備考
運上所頭取 運上所全体の統括、外国官との協議 後の税関長に相当
鑑定役 輸出品・輸入品の価格および品質の査定 専門的な商品知識を必要とした
検査役 荷物の現物確認および密輸の監視 波止場での立ち会いが主
通詞 外国人との通訳および外交文書の翻訳 長崎出身者が多く登用された

近代化への貢献と歴史的評価

運上所は、日本が近代的な国際貿易の枠組みに参入するための実験場でもあった。新政府下で運上所の要職を務めた人物の中には、後に内閣総理大臣となる伊藤博文や、大阪経済の父とされる五代友厚など、日本の近代化を牽引した逸材が多く含まれている。彼らは運上所での勤務を通じて、国際法や外国の経済事情を実地に学び、それを後の国造りに活かしたのである。また、運上所が果たした関税徴収の機能は、不安定であった維新直後の国家財政を支え、鉄道建設や軍備増強などの近代化予算の源泉となった。現在の日本における貿易立国の礎は、この幕末から明治にかけての運上所の活動によって築かれたといっても過言ではない。運上所はまさに、中世から近世の徴税システムを脱し、近代的な国家行政へと橋渡しをした歴史的な存在であった。