江尻
江尻(えじり)は、現在の静岡県静岡市清水区に位置する歴史的な地名であり、中世から近世にかけて交通と軍事の要衝として栄えた。かつての駿河国に属し、戦国時代には江尻城が築かれ、江戸時代には東海道五十三次の18番目の宿場町である「江尻宿」として知られた。古くから清水港に隣接し、陸路と海路が交差する拠点としての役割を担ってきた地域である。
江尻の歴史的変遷
江尻の歴史は古く、平安時代からその名が見られるが、歴史の表舞台に大きく登場するのは戦国時代である。当初は今川氏の勢力下にあったが、今川氏の衰退に伴い、甲斐の武田信玄による駿河侵攻が始まると、江尻は武田氏にとって駿河支配の重要拠点となった。信玄は永禄13年(1570年)頃に江尻城を築城し、穴山信君を城主に据えて領国経営と防衛の要とした。しかし、武田氏の滅亡後は徳川家康の支配下に入り、江戸幕府の成立とともに城郭としての役割を終え、宿場町としての整備が進められることとなった。
江尻城の特徴と役割
江尻城は、巴川の河口付近に位置する平城であり、水軍の拠点としても機能していた。武田氏が築いた際には、馬出しや三日月堀といった武田流築城術の特徴が随所に見られたとされる。また、江尻城は周辺の「巴川」を天然の堀として利用しており、物流の拠点である清水湊(清水港)を監視・防衛するための極めて重要な位置にあった。現在、城跡は宅地化が進み、明確な遺構はほとんど残っていないが、町名や寺院の配置に当時の名残を留めている。江尻城の廃城後は、その資材が駿府城の改築などに転用されたとも伝えられている。
東海道江尻宿の繁栄
江戸時代に入ると、江尻は宿場町として再編され、東海道を通る大名や旅人で賑わいを見せた。江尻宿は、隣接する清水湊との関係が深く、物資の集散地として経済的に潤っていたのが特徴である。天保14年(1843年)の記録によれば、宿内には本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠50軒が立ち並び、家数は約1,300軒、人口は約5,000人を数える規模であった。江尻宿から眺める富士山や三保の松原の景色は絶景として知られ、多くの浮世絵師や文人によって題材にされた。特に歌川広重の「東海道五十三次」においても、江尻は三保を望む美しい風景とともに描かれている。
交通と経済の結節点
江尻の経済的基盤は、単なる宿泊機能に留まらず、水運との連携にあった。清水湊から荷揚げされた塩や魚介類、米などは江尻を経由して信州方面や内陸部へと運ばれた。また、江尻周辺は農業も盛んであり、温暖な気候を利用した柑橘類の栽培なども行われていた。このように、陸の街道と海の港が近接していたことが、江尻を他の宿場町とは一線を画す活気ある商業都市へと成長させた要因である。地域の商人は活発に活動し、駿府(現在の静岡市中心部)に次ぐ規模の町並みを形成していた。
近代以降の変容
明治時代の変革期において、1889年の町村制施行により「江尻町」が発足した。その後、鉄道網の整備が進み、現在の東海道本線が開通すると、交通の主役は徒歩から鉄道へと移り変わった。1924年には周辺の町村と合併して「清水市」の一部となり、現在は静岡市の政令指定都市移行に伴い清水区の一部となっている。かつての宿場町としての街路は今も一部に残っており、旧東海道沿いには当時の歴史を伝える石碑や案内板が設置されている。江尻という名は現在も小学校名や町名として継承されており、地域住民のアイデンティティの一部となっている。
江尻の文化と名所
江尻に関連する文化遺産として、古くからの寺院や神社が挙げられる。特に武田氏ゆかりの寺院や、宿場時代からの歴史を持つ旧家などが点在しており、地域の歴史の深さを物語っている。また、江尻は「ちびまる子ちゃん」の作者であるさくらももこの出身地としても知られており、作品内には昭和期の江尻周辺の風景や情緒が色濃く反映されている。歴史的な要衝としての顔と、親しみやすい下町の顔を併せ持つのが、現代における江尻の魅力といえるだろう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 旧国名 | 駿河国 |
| 宿場番号 | 東海道 18番目 |
| 主な史跡 | 江尻城跡、江尻宿本陣跡 |
| 近接する港 | 清水港 |
まとめ
江尻は、戦国時代の城下町から近世の宿場町、そして近代の港湾都市・商工業都市へと姿を変えながら、常に交通の要としての役割を果たしてきた。武田信玄や徳川家康といった歴史上の重要人物たちがこの地を重視したことは、江尻がいかに戦略的な価値を持っていたかを証明している。現在、その姿は近代的な街並みの中に溶け込んでいるが、地名に刻まれた歴史の重みは、今もなお地域の中に息づいている。江尻の歴史を紐解くことは、静岡県全体の交通史や中世・近世の社会構造を理解する上で欠かせない要素である。
- 江尻城は武田氏の駿河支配における海防の拠点であった。
- 江尻宿は東海道でも有数の規模を誇り、清水湊と密接に関係していた。
- 明治時代以降の廃藩置県や市町村合併を経て、現在の静岡市清水区へと発展した。
- 浮世絵や文学作品を通じて、その美しい景観は全国に知られていた。