民族資本(中国)
中国史における民族資本(中国)とは、帝国主義列強や在華外国資本、また官僚・軍閥による官僚資本とは区別される、中国人による私有資本・企業群を指す概念である。清末から中華民国期にかけて、紡績・製粉・運輸・鉱業・金融など多様な分野で中国人企業家が育ち、近代的な産業資本を形成したが、その多くは列強の経済的支配のもとで中小規模にとどまり、政治的にも軍閥や政党との複雑な関係のなかで独自の利害と限界をもっていたとされる。
成立の歴史的背景
清朝末期、アヘン戦争以降の通商条約体制のもとで、上海などの条約港には欧米や日本の企業が進出し、在華外国資本が支配的な地位を占めた。一方で、中国人商人や官僚が出資した近代企業も登場し、これが民族資本(中国)の母体となった。洋務運動期には官督商弁方式による企業が多く、官民の境界は必ずしも明確ではなかったが、甲午戦争後の危機や列強による分割の進展により、「自国の産業を自国の資本で」という意識が強まり、純粋な民間企業も増加していった。
産業構造と企業形態
民族資本(中国)は、上海・天津・漢口・広州といった沿海・長江流域の都市に集中し、紡績・製粉・マッチ・タバコ・鉄道・海運など、都市市場や対外貿易に結びついた部門で成長した。資本規模は在華外国資本に比べるとはるかに小さく、銀行や市場における信用も弱かったが、地域ネットワークや同郷団体を通じた資金調達、家族経営的な組織などによって活動を維持した。やがて株式組織をとる会社も現れ、近代的企業への転換が進んだが、その多くは一族支配の色彩を濃く残していた。
国際資本主義との関係
20世紀初頭の世界経済は、大量生産大量消費の体制が発達し、自動車産業やフォード方式による工場システムが象徴するように、巨大な独占企業が主導する時代であった。中国の民族資本(中国)は、この国際的な技術革新と市場拡大の影響を受けつつも、関税自主権の喪失や不平等条約により保護政策をとれず、外国企業との競争で不利な立場に置かれた。例えば紡績業では、日本や英国の機械・技術導入を通じて生産力を高めたものの、綿花の輸入価格や為替変動に左右され、利潤率は安定しにくかった。
政治運動との結びつき
辛亥革命から五四運動、国民革命へと続く時期には、強い民族意識が広がり、民族資本(中国)の担い手の一部は、帝国主義に対抗する政治運動を支持した。関税自主権の回復要求や、国貨奨励・排外運動は、中国人企業の保護と市場拡大を求める要求とも結びついた。また、帝国主義支配に対抗するアジアアフリカ民族主義の進展の一環として、中国の民族資本家は、他の植民地・半植民地地域の企業家と同様、民族国家建設と経済的自立を掲げながらも、列強資本との折衝や妥協を余儀なくされる「動揺的」な階層として位置づけられた。
第一次世界大戦と東アジア情勢の影響
第一次世界大戦期には、欧州列強が戦争に集中した結果、東アジア向け輸出が減少し、中国市場では一時的に外国製品の供給不足が生じた。この「隙間」を利用して、中国人企業の生産が拡大し、紡績や製粉などで民族資本(中国)が成長する契機となった。他方、日本は戦争景気を背景に中国進出を強め、二十一か条要求などを通じて山東や満州での利権を拡大した。こうした動きは第一次世界大戦と東アジアの力関係を変化させると同時に、中国民族資本にとっては新たな競争相手として日本資本を意識せざるを得ない状況を生み出した。
社会構造と大衆文化との関連
都市部で成長した民族資本(中国)は、賃金労働者を大量に雇用し、都市社会の階層構造を変化させた。工場労働者の増大は、労働争議や社会運動の背景となると同時に、近代的な消費文化の形成にもつながった。ラジオや映画、雑誌などのメディア産業、さらには都市の娯楽産業は、民族資本家や外国資本の投資対象となり、中国における現代大衆文化の基盤を形づくった。しかし消費社会の拡大は、必ずしも農村部にまで浸透したわけではなく、都市と農村の格差を広げる一因ともなった。
戦時体制と内陸移転
日中戦争期には、沿海部の工業地域が日本軍の占領や空襲の対象となり、多くの企業が内陸への疎開を迫られた。この過程で、一部の民族資本(中国)企業は、政府の戦時動員政策のもとで兵器・軍需生産に転換し、重工業部門の育成に関与した。他方で、資材不足やインフレの激化は企業経営を圧迫し、闇市場や投機的活動に傾く資本家も現れた。戦時下における民族資本の役割は、抗日戦争への貢献と戦時利得の追求という二面性を持ち、戦後評価の対象となった。
中華人民共和国成立後の変容
1949年の中華人民共和国成立後、新政権は都市経済において民族資本(中国)を「国民資本」あるいは「民族ブルジョワジー」と位置づけ、農村の地主階級とは区別しつつも、社会主義改造の対象とした。初期には公私合営企業の形で、国家資本と民族資本の共同経営が追求され、旧来の企業家は一定の利潤分配と政治的地位を認められつつ、経営管理に関与した。しかし1950年代半ばの社会主義改造が進むにつれて、私的所有は次第に否定され、企業は国有化されていった。こうして歴史的主体としての民族資本(中国)は、制度的には姿を消すことになった。
比較史的視点と概念の意義
移民国家アメリカにおける移民法や禁酒法、さらにはサッコ=ヴァンゼッティ事件やWASP・ワスプのような支配層の文化的価値観は、資本主義社会における民族・人種・階級の複雑な関係を示している。同様に、中国史研究における民族資本(中国)という概念も、単なる「中国人資本」の記述にとどまらず、帝国主義体制下での従属的発展、国家との関係、社会運動への態度などを総合的に捉えるための分析枠組みとして位置づけられてきた。近年は、家族企業や地域ネットワーク、ジェンダーや都市文化との関連など、より多面的な視点から再検討が進められており、東アジア資本主義の比較研究においても重要なキーワードとなっている。