権利の宣言|議会の権利と自由を保障

権利の宣言

権利の宣言は、1689年の名誉革命ののち、イングランド議会がウィリアム3世とメアリ2世に王位を提供する条件としてまとめた文書である。王権が法律を無視して統治したジェームズ2世の専制を批判し、議会の同意なき課税や常備軍の維持を禁じ、臣民の自由な請願権や議会内での言論の自由などを確認した。この宣言は同年後に成文化され、「権利の章典(Bill of Rights)」として制定され、イギリス立憲君主制の出発点とされる。

成立の歴史的背景

権利の宣言の背景には、ステュアート朝の専制と宗教対立があった。チャールズ1世の専制と内戦、共和政を経て王政が復活すると、チャールズ2世は形式的には議会と協調しながらも、絶対王政を志向した。カトリック排除を目的とした審査法や、被拘禁者の権利を守る人身保護法などは、王権と議会・臣民との緊張関係を象徴する法律であった。ついで即位したジェームズ2世は熱心なカトリック教徒であり、議会を無視して特権による法の停止や課税を行い、常備軍を拡大したため、プロテスタント多数派やトーリ党ホィッグ党の一部までが反発した。

名誉革命と宣言の採択

1688年、議会指導者たちはオランダ総督ウィレム3世(のちのウィリアム3世)とその妻メアリを招き、国王ジェームズ2世は亡命した。流血の少なさからこの政変は名誉革命と呼ばれる。議会は空位となった王位をどのように正当化するかという問題に直面し、王権の由来と限界、臣民の自由と議会の権利を整理した文書として権利の宣言を作成した。この宣言を受け入れることを条件に、ウィリアム3世とメアリ2世は共同統治者として即位し、王は議会の定めた原則を尊重する義務を負うことになった。

権利の宣言の主な内容

  1. 国王は、議会の同意なく法律を停止・免除してはならない。
  2. 議会の同意なき課税は違法である。
  3. 平時の常備軍維持には議会の承認が必要である。
  4. 臣民には国王に対して請願する権利があり、そのために処罰されてはならない。
  5. 議会選挙は自由でなければならない。
  6. 議会での言論・討論の自由は、議会外で問題とされてはならない。
  7. 過度の保釈金や罰金、残虐な刑罰は禁止される。
  8. 評議会・官職・裁判官任命などにおいて、恣意的な王権行使を制限する。

これらの規定は、すでに慣習として存在していた「古来の権利と自由」を確認する形式をとりつつ、実質的には王権を厳しく法の枠内に閉じ込め、議会主権と臣民の自由を保障するための原則を体系化した点に特徴がある。

権利の章典との関係

権利の宣言は、もともと議会が新国王夫妻に提示した政治的約束文書であり、これを法形式に整えたものが「権利の章典」である。日本の教科書ではしばしば両者をまとめて扱うが、厳密には宣言が先行し、それが「章典」として制定されることで恒久的な成文法となった。こうして名誉革命体制の下で、イングランドでは王が「法の下の存在」として位置づけられ、国王・議会・臣民の関係が再定義されたのである。

意義とその後の影響

権利の宣言および権利の章典は、イギリスにおける立憲君主制と議会主権の原点とされる。王権を制限し、議会と臣民の権利を確認するこの枠組みは、その後のチャールズ2世期までの混乱を経た政治体制を安定させ、近代的な「法の支配」の理念を具体化した。また、後世のアメリカ独立後の権利章典(United States Bill of Rights)や、フランス革命期の人権宣言など、多くの立憲文書に理論的・制度的な影響を与え、近代における自由と人権の保障の先駆的なモデルとして評価されている。