春秋時代|尊王攘夷と覇道をつかむ春秋の五覇

春秋時代

春秋時代は、前770年ー前403年の周の東遷から、晋が韓・魏・趙に分裂してそれぞれが独立するまでの時代、周王朝は衰え、有力諸侯が「尊王攘夷」をとなえて覇権を争った。春秋時代という名は孔子の編纂した史書『春秋』に由来する。春秋時代には周王朝の権威は保られていたが、戦国時代にはいると周王朝はその影響力を完全に失ってしまう。(参考:戦国時代戦国・春秋時代

春秋戦国時代

春秋戦国時代

尊王攘夷

周は東遷以降、その国力の衰退は止まらなかったが、周王朝の権威は引き継がれていた。春秋時代の覇者は周王朝を中心に、尊王攘夷という旗を振りかざし、異民族(夷秋)の侵入をうちはらった。

春秋の五覇

覇者とは、春秋時代に「尊王攘夷」を掲げて、諸侯の同盟(会盟)を指導した有力諸侯のことで、その中でも代表的な5人の覇者を春秋の五覇という。

  • 斉の桓公
  • 晋の文公
  • 楚の荘王
  • 呉王闔閭(もしくは夫差)
  • 越王勾践
  • ※呉・越を除き、秦の穆公・宋の襄公とする説、楚の荘王に代えて呉王
    夫差とする説もある

桓公

桓公は、斉の君主(在位前685ー前643)である。春秋の五覇の第一人者で、鮑叔牙(ほうしょくが)の推挙によって親交のあった管仲を宰相に用い、富国強兵を進めた。北方の異民族や楚の侵入を防いだことで覇道を達成した。

文公

晋の君主(在位前636~前628)で春秋の五覇の一人。内乱のため19年間の長い亡命ののち秦の穆公を後ろ盾にして即位し、の内紛を治め、楚を破って覇者となった。

荘王

楚の君主(在位前613~前591)。春秋の五覇の一人。楚は中原に進出しようとしたが、秦や晋によって失敗におわる。荘王は地方に権力を伸ばし、中原に圧力をかけ、やがて洛陽に入り、ついで晋を破った。このことが評価され、覇者となった。

穆公

穆公(ぼくこう)は泰の君主(在位前659~前621)であり、秦の強国化を推進した。晋を打ち破り、西戎(現在のチベット)まで支配をもった。

襄公

襄公(じょうこう)は、宋の君主(在位前651~前637)である。強国化に成功したが、「宋襄の仁」で楚に敗れた。

闔閭

闔閭は呉王(在位前514~前496)である。楚を破り覇者となったが、越王の勾践と戦って敗死した。

夫差

夫差は呉王(在位前495~前473)であり、闔閭の子である。敗死した闔閭の復讐を志し、越王勾践を破ったが、のち越王勾践の反撃に敗れて自殺した。

勾践

勾践は越王(在位前496ー前465)である。呉王闔閭の侵入を破ったが、その子である夫差に敗れた。その後、富国強兵に努めて呉を滅ぼした。「臥薪嘗胆」の故事は、夫差と勾践の復讐の苦労を物語っている。

鉄製農具

中国では、鍛鉄により鋳型に鉄を流し込む鋳鉄が早く発達した。初期の鋳鉄はもろかったため、刀剣などの武器には適さず、春秋時代末期には、自由な型で様々な鉄製農具(鋤、鍬、鎌)が製造され、従来の木器や石器にかわって戦国時代には普及した。

晋の分裂

前453年、韓・魏・趙の三家が晋の国土を3分し、前403年周王によって三家が諸侯と認められた。これより、春秋時代は終わり、戦国時代が始まった。

春秋時代に使われた貨幣

  • 貝貸:春秋時代まで各地で貨幣として使用された。子安貝や骨や石で作られている。
  • 青銅貨幣:大商人や諸侯により発行された青銅製の貨幣。春秋時代末期から戦国時代にかけて使われた。
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