日ソ基本条約
日ソ基本条約は、1925年に日本とソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が結んだ条約である。日本がソ連政府を正式に承認し、両国間の国交を開いた基本文書であり、第一次世界大戦後の不安定な極東情勢のなかで、両国関係を正常化する転機となった。とくに、シベリア出兵や北サハリン占領によって生じた軍事・領土・経済上の懸案を整理し、通商・漁業・在留民の扱いなどを定めた点で重要視される条約である。
成立の歴史的背景
1917年のロシア革命によって帝政ロシアが崩壊し、ボリシェヴィキ政権が成立すると、日本を含む列強諸国は新政権を容易に承認せず、内戦と干渉戦争が続いた。日本はシベリア出兵を行い、さらにニコラエフスク事件などを理由に北サハリンを占領したため、ソ連との対立は長期化した。他方、欧州ではドイツとソ連がラパロ条約を結び、イギリスなども相次いでソ連を承認しており、日本のみが孤立する形になりつつあった。こうした国際環境の変化と、対露通商の利害をもつ財界の要望が、日本政府にソ連との関係整理を迫ったのである。
交渉の経過
1920年代初頭、日本政府は従来の反ボリシェヴィキ政策を修正し、現実の政権であるソ連政府との妥協を模索した。外務官僚を中心に交渉方針が検討され、北サハリン問題の処理と引き換えに国交樹立を進める方針が固まった。ソ連側も極東における安全保障の安定化と、対日通商の拡大を望んでおり、交渉は北京を舞台として進行した。こうして1925年1月、日ソ両国の全権代表が北京で日ソ基本条約に調印し、日本は最後発ながらソ連を正式に承認することになった。
日ソ基本条約の主な内容
日ソ基本条約は、その名のとおり日ソ関係の基本原則を定めた条約であり、これに付属する通商条約・漁業条約などとあわせて国交の枠組みを構成した。おもな内容は次のように整理できる。
- 日本によるソ連政府の正式承認と、両国の国交樹立
- 在日ソ連人・在ソ日本人の法的地位や財産権の規定
- 帝政ロシア時代の条約・協定のうち、双方が有効と認めるものの継承
- 北サハリンにおける日本の経済的利権と撤兵条件の調整
- 通商・航海・漁業に関する別個の協定締結の確認
北サハリン問題の処理
条約の中核の一つが北サハリン問題である。日本はシベリア内戦とシベリア出兵の過程で北サハリンを占領し、石油や石炭などの資源に関する強い利権を主張していた。日ソ基本条約では、日本が北サハリンから軍隊を撤退する代わりに、一定期間の石油・石炭採掘権や企業活動の権利を認める形で妥結した。これにより、軍事占領から経済的進出へと性格が変化し、ソ連側も領土主権を回復しつつ外資導入が可能になった。
通商・漁業関係の取り決め
通商や漁業については、日ソ基本条約と同時期に締結された通商航海条約や漁業条約で詳細が定められた。これらの取り決めにより、日本商人はソ連領内で一定の最恵国待遇を受け、ソ連側も日本市場へのアクセスを得た。また、日本漁業資本はオホーツク海やカムチャツカ沿岸などで操業する権利を獲得し、北洋漁業の発展に寄与した。こうした通商・漁業協定は、国交樹立後の経済関係を支える基盤となった。
国際政治の中での意義
日ソ基本条約は、日本がソ連を承認した点で、第一次世界大戦後の国際秩序における一つの画期であった。すでに欧州ではドイツのラパロ条約やイギリスの承認などを通じてソ連の外交的地位が徐々に認められており、日本もこれに続くことで外交的孤立を回避したのである。また、ソ連にとっても、日本との国交樹立は東アジアにおける安全保障上の負担を軽減し、西側との駆け引きに余地を与えた。こうして、東アジアの国際関係は、一時的ではあるが安定方向に向かったと評価される。
その後の日ソ関係への影響
もっとも、日ソ基本条約が長期的な友好関係を保証したわけではない。1931年の満州事変以降、日本は中国東北部への軍事的進出を強め、ソ連との対立要因を再び抱えることになった。その一方で、1941年には日ソ中立条約が結ばれ、両国は一時的に相互の中立を確認したが、最終的には1945年のソ連対日参戦と第二次世界大戦終結によって情勢は大きく変化した。それでも、1925年の日ソ基本条約は、革命後のソ連と隣国との関係がどのように再構築されたかを示す重要な事例であり、日本外交史とソ連外交史を理解するうえで欠かせない出来事である。