戒厳令
戒厳令とは、戦時や事変、あるいは国内の動乱などによって一般の法秩序を維持することが困難な非常事態において、軍隊の力をもって行政・司法の全権または一部を掌握し、治安維持にあたる緊急立法およびその状態を指す。この状態下では、集会・結社の自由や表現の自由といった国民の基本的人権が大幅に制限され、軍法会議が司法権を代行するなど、平時とは異なる特例措置が適用される。かつての日本では明治憲法の下で制度化されていたが、戦後の現行憲法下においては、制度としての戒厳令は存在せず、法的な根拠も失われている。
戒厳令の概念と歴史的背景
戒厳令の概念は、近代国家の成立過程で整備された国家緊急権の一形態である。フランス革命期の1789年に制定された法がその原型の一つとされ、軍隊が都市の治安維持を全面的に引き受ける「戒厳状態」が定義された。その後、各国で制度化が進み、非常時における国家の存立を維持するための不可欠な手段とみなされるようになった。日本の戒厳令は、1882年(明治15年)に公布された「戒厳令(明治15年太政官布告第14号)」に基づく。この布告は、プロイセン(ドイツ)などの制度を参考に構築され、軍事上の必要性に応じて特定の地域を軍の統制下に置くことを可能にした。戒厳令には、敵の攻撃が迫っている場合の「臨戦戒厳」と、戦争や事変に際して兵備を整える「合囲戒厳」の2種類が規定されていた。
日本における主要な適用事例
日本国内において戒厳令(またはそれに準ずる非常徴発令)が実際に適用された事例は、歴史的に重大な転換点と重なっている。最初の事例は1905年(明治38年)の日比谷焼打事件であり、日露戦争の講和内容に不満を持つ民衆が暴動を起こした際、東京市内に布告された。続いて、1923年(大正12年)の関東大震災直後には、混乱した治安を回復させるために適用されている。そして、最も著名な事例が1936年(昭和11年)の二・二六事件である。陸軍の青年将校らによるクーデター未遂に対し、昭和天皇の強い意志のもとで東京市内に戒厳令が敷かれ、反乱軍の鎮圧が行われた。これらの事例において、戒厳令は常に国家秩序の崩壊を防ぐための最終手段として機能した側面がある。
大日本帝国憲法下の法的仕組み
旧憲法体制下において、戒厳令を宣言する権限は天皇の「大権」に属していた。大日本帝国憲法第14条には「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス。戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」と明記されており、これに基づき内閣の輔弼を得て布告が行われた。戒厳令が布告されると、当該地域の行政事務と司法事務の一部が司令官の管轄下に移り、地方長官や警察の権限も軍が掌握することとなった。また、軍令に基づく特別な処罰が可能となり、報道の検閲や武器の没収なども軍の裁量で行われた。このような強力な権限は、軍部が政治的影響力を強める一因ともなり、特に太平洋戦争へと向かう軍国主義の進展において、治安維持の枠を超えた広範な統制手段として意識されることとなった。
| 発生年 | 事件・事象 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 1905年 | 日比谷焼打事件 | ポーツマス条約不満による暴動抑止のため、東京市内に布告 |
| 1923年 | 関東大震災 | 震災後の秩序混乱および流言飛語による暴動防止のため発令 |
| 1936年 | 二・二六事件 | 皇道派将校による反乱鎮圧のため、東京市内に布告 |
現代日本における制度の廃止と代替措置
1947年に施行された日本国憲法は、基本的人権の尊重を基本理念としており、かつての戒厳令のような強力な国家緊急権を明文で規定していない。これにより、明治以来の戒厳令は廃止された。現代の法体系において、国内の治安維持が警察力で困難な場合には、自衛隊法に基づく「治安出動」がその役割を担うこととなる。また、大規模な災害時には「災害緊急事態」が宣言される場合があるが、これらはあくまで民主的な文民統制(シビリアン・コントロール)の下で行使されるものであり、軍が司法・行政を独占する戒厳令とは本質的に異なる。しかし、国際的なテロの脅威や大規模災害への対応を巡り、憲法に「緊急事態条項」を新設すべきかという議論がなされる際、かつての戒厳令の教訓がしばしば引き合いに出される。
海外諸国における戒厳令の運用
世界に目を向けると、現在でも多くの国家が法律や憲法の中に戒厳令(Martial Law)の規定を保持している。特に政情不安が続く国々や独裁体制下の国家では、反政府デモやテロの鎮圧を目的に頻繁に活用される傾向がある。一方で、アメリカ合衆国のように、州知事や大統領が暴動や自然災害の際に州兵・連邦軍を動員して限定的な戒厳令状態を宣言する例もあるが、これらは裁判所による事後審査の対象となり、個人の権利制限は必要最小限に留められることが通例である。歴史的に見れば、フランス革命からナポレオン時代、さらには現代の紛争地域に至るまで、戒厳令は常に「法による支配」と「物理的暴力による秩序維持」の境界線上に存在し続けている。
- 戒厳令の布告は、通常、内閣の決定と元首の署名を必要とする。
- 軍事裁判所が一般市民を裁くことが可能になる場合があり、正当な裁判を受ける権利が制限される。
- 夜間外出禁止令(外出禁止令)や通信の遮断が伴うことが多い。
- 陸軍や海軍といった正規軍が街頭に配置され、検問を実施する。
戒厳令と非常事態宣言の違い
戒厳令としばしば混同される概念に「非常事態宣言」がある。一般に非常事態宣言は、行政権を強化して危機管理にあたる広義の措置を指し、必ずしも軍隊が主導するわけではない。これに対し、戒厳令は軍隊が司法・行政の一部または全部を代行するという点が決定的な違いである。日本では第二次世界大戦後、法的には軍隊(軍法)を前提とした戒厳令の存在を否定しているため、有事の際も警察や自衛隊が既存の法律の範囲内で行動することが原則となっている。しかし、国家の存立に関わる事態において、既存の法を超越した超法規的措置が必要になるかという問いは、政治学や法学において今なお議論の対象となっている。