弘福寺|飛鳥四大寺に数えられた大寺院の跡

弘福寺

弘福寺(こうふくじ)は、東京都墨田区向島にある黄檗宗の寺院である。山号は牛頭山(ごずさん)であり、本尊として釈迦如来を安置している。江戸時代前期の1673年(延宝元年)に、黄檗宗の僧である鉄牛道機を開山とし、小田原藩主であった稲葉正則を開基として創建された。中国明代の建築様式を色濃く残す唐風の伽藍配置や建築的特徴を持ち、地域の人々からは「隅田川七福神」の布袋尊を祀る寺としても広く親しまれている。また、境内には風邪封じの御利益があるとされる「咳の爺婆尊」が祀られており、古くから多くの信仰を集めてきた。近隣には長命寺や三囲神社などが点在し、向島エリアの歴史的景観を形成する重要な宗教施設の一つとして位置づけられている。

歴史と創建の背景

弘福寺の歴史は、江戸時代前期にさかのぼる。もともとは葛飾郡須田村香盛島という村落にあった小堂であったが、延宝元年(1673年)に黄檗宗第二代住職である木庵性瑫の高弟・鉄牛道機が当地に招かれ、牛嶋神社に隣接する旧葛西氏の城址へと寺領を移したことで本格的な寺院として成立した。開基となった稲葉正則は徳川家光の側近であり、春日局の孫にあたる有力な譜代大名であった。彼の庇護を受けたことで寺勢は拡大し、江戸時代を通じて鳥取藩池田家の菩提寺としての役割も担うようになった。その後、度重なる江戸の大火や関東大震災によって堂宇は幾度か焼失の憂き目に遭っているが、昭和8年(1933年)に現在の本堂などが再建され、黄檗宗特有の荘厳な宗教空間を現代に伝えている。

黄檗宗寺院としての建築的特徴

日本における仏教のなかでも、黄檗宗は江戸時代に中国(明)から伝来したため、他の伝統的な禅宗(臨済宗や曹洞宗)と比較して中国様式が顕著であるという特徴を持つ。弘福寺の本堂(大雄宝殿)や山門、鐘楼においてもその様式美が随所に見られる。具体的には、重層の屋根や大棟の宝珠、鴟尾(しび)といった外観の造形のほか、堂の正面に設けられた「月台(げったい)」と呼ばれる広い石舞台、両翼に配された円窓、さらには柱に掛けられた聯額(れんがく)などが挙げられる。これらは日本の一般的な寺院建築にはあまり見られない特異な意匠であり、異国情緒を漂わせる堂宇の姿は、当時の人々にとって極めて斬新に映ったと推測される。

咳の爺婆尊と民間信仰

境内で特に著名な信仰対象となっているのが、「咳の爺婆尊(せきのじじばばそん)」と呼ばれる二体の石像である。これは江戸時代初期の禅僧であり画僧としても知られる風外慧薫(ふうがいえくん)が、真鶴の山中で修行中に両親の姿を彫ったものと伝えられている。後にこの像が弘福寺へと移された際、風外という名が「風(邪)の外」に通じること、また風外が彫った親の像であるならば風邪にも負けないだろうという庶民の語呂合わせや願いから、風邪除けや咳止めの信仰が生まれた。現在でも喉の病気や咳に悩む参拝者が絶えず、願掛けのために咳止めの飴を供える風習が残されている。

ゆかりの文化人と史跡

  • 鳥取池田藩主・池田冠山の墓碑:江戸時代後期の儒学者としても知られる池田冠山が眠っており、多くの文化人が墓参に訪れた。
  • 勝海舟の修行地:幕末の偉人である勝海舟が、青年時代にこの寺で座禅などの修行を行ったという伝承が残されている。
  • 森鴎外の旧墓所:明治時代の文豪である森鴎外の墓もかつては存在したが、関東大震災の被害を受けた後に他所へ改葬された。
  • 隅田川七福神の布袋尊:江戸時代から続く七福神巡りの一つであり、正月の参拝時には多くの人々で賑わう。

大和国の弘福寺(川原寺跡)

東京都墨田区の寺院とは別に、奈良県高市郡明日香村にも弘福寺と呼ばれる古刹が存在する。こちらは飛鳥時代に建立された飛鳥四大寺の一つ「川原寺(かわはらでら)」の後身にあたる真言宗豊山派の寺院である。川原寺は天智天皇の時代に創建されたと推定される大寺院であり、日本で初めて一切経の写経が行われた場所としても知られる。中世以降に幾度もの火災に見舞われて衰退し、室町時代末期に廃寺となったが、江戸時代中期にその法灯を受け継ぐ形で中金堂の跡地に現在の弘福寺が建立された。昭和年代の発掘調査により「一塔二金堂式」という特異な伽藍配置が確認されたほか、裏山からは千数百点にも及ぶ三尊塼仏(せんぶつ)が出土し、古代日本の歴史を解明する上で極めて重要な史跡となっている。

川原寺跡の発掘調査と三尊塼仏

昭和年代に本格的に実施された発掘調査では、川原寺跡から他に類を見ない貴重な遺物が多数発見された。とくに特筆すべきは、裏山の板蓋神社付近から出土した千数百点に及ぶ三尊塼仏(さんぞんせんぶつ)である。塼(せん)とは粘土を型枠に入れて焼き上げた煉瓦状の建築部材であり、そこに仏の姿が浮き彫りにされている。これほど大量の塼仏が単一の遺跡から出土した事例は日本国内において他に例がなく、堂宇の壁面全体をこの塼仏で装飾し、極楽浄土の荘厳な世界を現出させていたと考えられている。現在、かつての大寺院の面影は失われているものの、弘福寺の境内に残る広大な伽藍の基壇や礎石群が当時の栄華を静かに伝えており、飛鳥時代の仏教文化を今に伝える貴重な歴史遺産として国の史跡に指定されている。

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