審査法
審査法は、17世紀後半のイギリスで制定された宗教上の資格法であり、国王と国家に仕える官職に就く者に対して、国教会での聖餐受領やカトリック教義の否定を義務づけることで、事実上カトリックと非国教徒を公職から排除した法律である。通常は1673年の法律を指し、英語では「Test Act」と呼ばれる。この法律は、王政復古後のチャールズ2世治世における宗教対立と、議会政治の形成過程を理解するうえで重要な位置を占める。
成立の背景
審査法が成立した背景には、17世紀のイギリス革命以来続いていた深刻な宗教対立があった。清教徒革命期には、クロムウェルのもとでピューリタン勢力が台頭し、国王と国教会の権威は大きく揺らいだ。1660年に王政が復古すると、王と国教会の側は、革命期に拡大した多様なプロテスタント諸派やカトリックを再び抑え込み、国教会中心の秩序を回復しようとしたのである。
このとき重要だったのは、政治的忠誠心と宗教的帰属が密接に結びついていた点である。王政復古後の政権は、反乱の再発を恐れ、異端・反体制とみなした集団を公職から締め出し、王権を支持する国教徒だけで中央・地方の行政や軍事を担わせたいと考えた。このような状況のなかで、公職に就く前に宗教上の「試験」を課す審査法が構想された。
チャールズ2世とカトリック不信
特に決定的だったのは、王位継承者である弟ジェームズ(のちのジェームズ2世)がカトリックに改宗していたことである。宮廷と政府中枢にカトリックが影響力を強めるのではないかという不安が、議会や国教徒層のあいだに広がった。こうしたカトリック不信は、のちの名誉革命へと連なる政治危機の重要な要素であり、その前段階として審査法が位置づけられる。
審査法の内容
1673年に制定された審査法(Test Act)は、主に軍人や高級官僚といった王政の中枢を担う公職者を対象としていた。その核心は、「国教会の聖餐を受けること」と「カトリック教義の一部を公的に否定すること」を官職就任の条件とした点にある。これによって、国教会に属さない者、なかでもカトリック信者は良心に反しないかぎり公職に就けなくなった。
- 国王に仕える高級官僚・軍人は、イングランド国教会での聖餐受領を証明すること
- カトリックの教義である「聖体変化(transubstantiation)」を否定する文書への署名
- 国王に対する忠誠と、国教会体制の支持を誓う宣誓
- 要件を満たさない者は、公職からの排除・辞任を余儀なくされること
これらの規定は、一見すると信仰告白の形式にすぎないように見えるが、実際には公職への門戸を国教徒に限定する強力な政治的装置として働いた。多くのカトリックや非国教徒は、信仰を捨てるか、公的地位を諦めるかの選択を迫られたのである。
議会への拡大と第二次審査法
1678年には、対カトリック感情の高まりの中で、貴族院・庶民院の議員にまで類似の資格要件を課す第二次審査法が制定された。これにより、カトリックは中央政界からほぼ完全に締め出され、国王を支える政治エリートは国教徒地主層を中心とする集団へと限定されていった。この過程で、のちにジェントルマンや「紳士階級」と呼ばれる支配層が形成され、議会を通じて政治を担う仕組みが整えられていく。
影響と歴史的意義
審査法の最大の影響は、宗教的少数派を公的領域から排除することによって、国教会と国王を支える政治エリートの一体性を強めた点にある。これにより、国家の中枢はイギリス国教徒によって独占され、地方行政や軍隊、大学など、社会のさまざまな領域で国教会の支配力が強化された。
一方で、カトリックやプロテスタント非国教徒は、経済活動では成功しながらも、公職に就けないという「二級市民」として扱われることになった。この差別的な構造は、多くの人々に宗教的寛容や市民的平等への関心を抱かせ、のちの人権思想や市民社会の発展を促す要因ともなった。
名誉革命と寛容法との関係
1688年の名誉革命によってジェームズ2世が追放されると、議会は権利章典(Bill of Rights)を通じて国王権を制限し、議会政治の優位を確立した。同時に、1689年にはプロテスタント非国教徒に限定的な信教の自由を与える寛容法が制定され、礼拝の自由は一定程度認められるようになった。
しかし、審査法自体はなお存続し続け、非国教徒が公職に就く道は長く閉ざされたままだった。この点で、名誉革命後の体制は、宗教的多様性を部分的に受け入れつつも、政治エリート層については国教徒優位を維持する妥協的な秩序であったといえる。
廃止と長期的影響
審査法は18世紀・19世紀を通じてしばしば批判の対象となり、宗教的平等を求める運動の中で問題視された。産業革命の進展とともに、都市の中産階級や宗教的少数派の政治的影響力が増大すると、公職からの排除は時代遅れとみなされるようになったのである。
最終的に審査法が廃止されるのは19世紀に入ってからであり、その直後にはカトリック解放をめぐる改革も進んだ。こうして、宗教を公職の資格とする制度は徐々に後退し、信仰の違いによって市民的権利が制限されない方向へと転換していく。この長い過程を通じて、イギリス革命以来の宗教と政治の結びつきは弱まり、近代的な市民社会と立憲体制への道が開かれたのである。