宇津木遺跡
宇津木遺跡(うつきいせき)は、東京都八王子市宇津木町、大谷町、および尾崎町にまたがって所在する、旧石器時代から縄文時代、弥生時代、そして古墳時代にまで至る大規模な複合遺跡である。特に弥生時代後期の集落跡や、日本で初めて「方形周溝墓」という名称が与えられた墓制遺構が発見された場所として、日本の考古学史上、極めて重要な地位を占めている。現在は中央自動車道の八王子インターチェンジ付近の敷地となっており、1960年代に実施された大規模な発掘調査によってその全容が明らかにされた。本遺跡は、多摩地域における原始・古代の生活様式や社会構造の変遷を解明する上で欠かせない学術的価値を有している。
遺跡の立地と地理的環境
宇津木遺跡は、八王子盆地の北縁を画する加住丘陵から南東方向へ緩やかに延びる台地上に立地している。この周辺は、多摩川の支流である谷戸地形によって浸食された複雑な地形を呈しており、日当たりが良く水場にも近いことから、古くから人間の定住に適した環境であった。古くは「宇津木向原遺跡」という名称で呼ばれることもあったが、調査が進むにつれて周辺の遺構を含めた宇津木遺跡群として認識されるようになった。標高は約100メートルから120メートル程度の位置にあり、眼下には八王子の平野部が広がる眺望の良い地点である。このような地形的特徴は、防衛や食料確保の観点からも有利であり、数千年にわたって人々がこの地を選択し続けた理由の一つと考えられている。
発掘調査の経緯と歴史的背景
宇津木遺跡が学術的に注目されるきっかけとなったのは、戦後の高度経済成長期に伴う大規模な国土開発であった。1961年(昭和36年)に実施された予備調査に続き、1964年(昭和39年)には日本道路公団による中央高速自動車道の建設に際して、大規模な緊急発掘調査が行われた。調査団は大場磐雄を団長とし、國學院大學や東京都の研究者らによって編成された。当時の最新の発掘技術や記録手法を駆使し、丘陵地帯を切り開く道路予定地の下から膨大な遺構が検出されたのである。この調査は、開発と文化財保護の在り方についても一石を投じるものとなり、当時の考古学界に大きな衝撃を与えた。現在は地表に当時の遺構を見ることはできないが、調査によって得られた膨大なデータや出土品は、地域の貴重な歴史遺産として大切に継承されている。
縄文時代の生活と遺構
宇津木遺跡における居住の歴史は非常に古く、縄文時代早期から中期の遺構が数多く確認されている。特に縄文時代中期の集落跡からは、約19軒の竪穴住居跡が検出された。住居の構造は、地面を円形や方形に掘り下げ、中央に石組みの炉を設けた典型的な形式である。出土する縄文土器は、力強い隆起線文様が特徴的な勝坂式土器や、洗練された造形を持つ加曾利E式土器が主流であり、当時の人々の豊かな精神文化や美意識を現代に伝えている。また、生活用具として欠かせない石器も多数発見されており、石鏃(せきぞく)や石匙(いしさじ)、重厚な石斧などが含まれる。これらは周辺の丘陵での狩猟や、クリ・トチなどの堅果類の採集、加工に用いられたと考えられ、豊かな自然の恩恵を受けた当時の生業を物語っている。
弥生時代の集落と方形周溝墓の命名
宇津木遺跡の歴史の中で最も重要な段階は、弥生時代後期から末期にかけての大規模集落の形成である。この時期の竪穴住居跡は50軒を超え、多摩地域でも最大級の勢力を誇った拠点的な集落であったことが推測される。そして、本遺跡を象徴する発見が「方形周溝墓」である。これは四角い溝(周溝)を巡らせた平坦な墓の形式であり、調査を担当した研究者らが、本遺跡での発見を基準としてこの名称を考案した。それまで弥生時代の墓制は不明な点が多かったが、宇津木遺跡の成果によって全国的な墓制の研究が飛躍的に進展したのである。4基の方形周溝墓は集落の南側に整然と配置されており、血縁集団に基づいた墓域の形成が行われていたことがうかがえる。
出土品に見る権威と交流
宇津木遺跡からは、当時の首長層の権威や遠方との交流を示す貴重な遺物が数多く出土している。第5号の住居跡からは、中国の鏡を模して日本国内で作られた「素文鏡」という青銅鏡が一面発見された。この鏡は権威の象徴であり、当時の八王子地域に大陸由来の文化をいち早く受け入れ、それを保持する有力な指導者が存在した確かな証左である。また、方形周溝墓からは緑色のガラス小玉や美しい輝きを持つ管玉、さらには底部に意図的に穴を開けた底部穿孔土器などの祭祀具も発見されている。これらの一連の出土品は、死者に対する丁重な弔いと、高度な工芸技術を享受していた当時の社会の成熟度を鮮明に示している。現在、これらの遺物は東京都の指定文化財として、八王子市郷土資料館などで厳重に保管され、地域の歴史教育の場において活用されている。
古墳時代への移行と現代の評価
宇津木遺跡の範囲内には、古墳時代終末期に属する古墳も1基確認されており、集落の系譜が長期にわたって継続していたことがわかる。この古墳は、周辺の狐塚古墳や船田古墳群とも密接な関連があるとされ、武蔵国の形成過程における在地勢力の動向を考察する上で重要な指標となっている。出土した鉄鏃や直刀の断片などは、当時の武装した戦士階層の存在を暗示しており、社会の階層化が進んでいた様子を伝えている。現在、遺跡の所在地は中央自動車道や八王子インターチェンジが位置する広域交通の要衝となっているが、かつてそこには多摩の丘陵を舞台に何世代にもわたって命を繋いだ人々の営みがあった。宇津木遺跡での発見は、開発が進む現代社会において、足元に眠る歴史の重みと文化財保護の重要性を我々に教え続けている。
主な遺構・遺物の詳細データ
| 時代区分 | 検出された主な遺構 | 代表的な出土遺物 |
|---|---|---|
| 縄文時代 | 竪穴住居跡 19軒、炉跡、土坑など | 勝坂式土器、加曾利E式土器、石器(石鏃・石斧) |
| 弥生時代 | 竪穴住居跡 54軒、方形周溝墓 4基 | 素文鏡、緑色ガラス小玉、底部穿孔土器 |
| 古墳時代 | 古墳 1基(終末期) | 直刀、鉄鏃、土師器、須恵器 |
| 調査年代 | 1961年(昭和36年)、1964年(昭和39年) | 調査主体:中央高速道八王子地区遺跡調査団 |
学術的な位置付けと関連用語
- 日本初の「方形周溝墓」命名の地として考古学上の基準点となっている。
- 多摩地域における弥生時代の大規模拠点集落としての性格を有する。
- 中央自動車道建設に伴う戦後最大級の緊急発掘調査の一つである。
- 出土した青銅鏡や装飾品は、広域的な地域間交流の実態を証明している。