南部|農業と奴隷制が支えた地域

南部

アメリカ合衆国における南部とは、一般にヴァージニア以南の諸州を中心とする地域を指し、温暖な気候と農業中心の経済構造、白人農園主層と黒人奴隷・解放奴隷を軸とした人種秩序によって特徴づけられる地域である。19世紀には、この南部が関税政策や奴隷制をめぐって連邦政府との政治的緊張を高め、やがて南北戦争へとつながる政治・社会的対立の主要な舞台となった。

地理的範囲と歴史的形成

南部は、植民地期からタバコや米の栽培が行われた大西洋岸の旧植民地諸州を基盤として形成された。その後、合衆国の領土拡大が進むと、奴隷制農業を持ち込んだ開拓民によって、現在のジョージアやアラバマ、ミシシッピ、ルイジアナなどの地域まで広がり、綿花地帯として知られる「ディープ・サウス」が形づくられた。19世紀前半には、西漸運動とともに南部的性格をもつ州が西方へと増え、連邦議会における自由州と奴隷州の均衡が重要な政治問題となった。

農業経済とプランテーション体制

南部経済の中心は、大土地所有にもとづくプランテーション農業であった。温暖な気候と肥沃な土壌は綿花やタバコ、サトウキビなど換金作物の大量生産に適しており、これらは世界市場、とりわけイギリスの綿工業を支える原料として輸出された。

  • 綿花の大量生産と輸出依存
  • 大規模な奴隷労働に支えられた農園経営
  • 都市工業の発展が比較的限定された農村的社会

このような経済構造のもとで、南部のエリート層は自由貿易的な通商政策を支持し、工業保護を掲げる関税引き上げには反対する傾向が強かった。この利害は、工業化の進む北部の企業家・労働者の関心と衝突し、やがてアメリカの南北対立として表面化していく。

奴隷制と人種秩序

南部の社会を特徴づけた最大の要素が黒人奴隷制である。アフリカ系住民はプランテーションでの重労働を担わされ、法的にも社会的にも厳しい差別を受けた。奴隷制は単なる労働力制度にとどまらず、白人優位を前提とする人種秩序の中心に位置づけられたため、多くの白人住民は制度維持を自らの社会的地位や生活様式防衛と結びつけて理解した。奴隷制批判を唱える運動が強まると、南部の政治家や思想家は「奴隷制は必要悪ではなく積極的善である」と主張し、その正当化に力を注いだ。

政治文化と州権思想

南部の政治文化では、連邦政府の権限拡大に警戒的な州権思想が重視された。プランテーション所有者を中心とする上層白人は、各州が独自の制度を維持する権利を強調し、奴隷制を連邦政府からの干渉から守る論拠として用いた。このような発想は、関税や奴隷制拡大をめぐる対立が先鋭化するなかで、最終的には合衆国からの離脱という行動に結びつき、南部諸州が連合を結成する理論的背景となった。

西方拡大と先住民政策

19世紀前半、南部の綿花農業はミシシッピ川以西へと拡大し、その過程で先住民社会の土地が侵食された。アンドリュー・ジャクソン政権期にはインディアン強制移住法が制定され、多くの先住民が強制的に故郷を追われた。その移動過程で多くの犠牲者を出した出来事は涙の旅路として知られ、最終的に人びとは西方のインディアン居留地へと移された。こうして獲得された土地が、新たな綿花プランテーション地帯として南部経済に組み込まれていった。

対外戦争と領土拡大

南部の拡大志向は、対外戦争とも結びついた。テキサス併合やアメリカ=メキシコ戦争を通じて獲得された広大な西部・南西部の領土は、新たな奴隷州候補地とみなされたからである。とくにカリフォルニアではゴールド=ラッシュが起こり、多様な移民と利害が錯綜する中で、奴隷制導入の是非が激しい政治対立を引き起こした。これら新領土を自由州とするか、奴隷州とするかという問題は、連邦政治における南部と他地域の対立を一層深刻化させた。

南北戦争とその後の南部

南北戦争の敗北によって、南部の奴隷制は廃止され、プランテーション体制も大きく揺らいだ。しかし戦後の再建期を経ても、黒人住民に対する人種差別や暴力、選挙権制限は根強く続き、旧プランター層やその後継エリートが地域社会の政治的主導権を保持した。形式上は連邦への復帰を果たしつつも、経済構造の転換は遅れ、長く農業と低賃金労働に依存する状況が続いたことから、南部は20世紀に入っても合衆国の中で特異な歴史的・社会的性格を有する地域として記憶されている。