信仰箇条
「信仰箇条」はイングランド国教会の教義基準文書であり、ヘンリー8世以後の宗教政策の帰結として成立した。原型はエドワード6世治下の42箇条(1553)で、メアリ1世のカトリック復古で一時失効したが、エリザベス1世期に39箇条へ再構成され、1563年のカンタベリー聖職者会で採択、1571年に王権・議会の承認を得て定着した。宗教的混乱の収拾と教会統一を目的に、聖書の権威、救済論、聖礼典、教会統治と国家の関係を簡潔に定式化し、ローマ・カトリックと大陸の宗教改革諸派の間に「中道(via media)」を示す役割を担った。以後、『一般祈祷書』の最後に掲げられ、聖職者がこれに同意を表明する慣行が長く続いた。
成立と改訂の経緯
42箇条(1553)はクランマーらによって起草され、聖書至上と信仰義認を明確にしつつ、英国教会固有の秩序を想定した。メアリ1世期には撤回されたが、エリザベス1世の統治で教会再建が進み、1563年に39箇条へ整理された。内容はラテン文と英訳で流布し、1571年に公的権威を獲得することで、イングランド宗教体制の神学的土台となった。政治と教会の境界を明記した点が特徴で、王(女王)を教会の「至上総裁(Supreme Governor)」とする立場を前提に、教皇権からの独立を示した。
教義の要点
- 聖書の権威:旧新約聖書は救いに必要な真理の十分な規範であると宣言し、教会の伝統は聖書に従属する。
- 人間と救い:人間は原罪により堕落しており、救いはキリストの功績に対する信仰によって与えられる(信仰義認)。善行は救いの原因ではなく、救われた者に生じる果実である。
- 予定論:救いの予定を肯定するが、定めの秘義を乱用して放縦に傾くことを戒め、信徒の慰めのために語る。
- 聖礼典:キリストが制定した礼典は洗礼と聖餐の二つである。他の典礼行為は有益たり得ても同列の「秘跡」ではない。
- 聖餐理解:ローマ的な実体変化(transubstantiation)を否認し、信仰による霊的な臨在を強調する。
- 教会と秩序:公会議の権威を尊重しつつも誤りを犯し得るとし、各国の教会は国情に応じた儀式・典礼の相違を許容する。
- 教会財産と聖職:聖職者の婚姻や財産保有を認め、修道制の功績主義を退ける。
典礼・統治との関係
一般祈祷書と並び、信仰箇条は英国教会の礼拝・職制(主教制)を神学面から支える文書である。王権至上を定めた首長法の枠組みと調和し、国家と教会の協働を前提に、地域教会の自主性と公同の信仰の均衡を図った。聖職任職を規定する儀文(Ordinal)とも整合し、説教・教理問答・聖務の指針を与えた。
受容と歴史的影響
信仰箇条はイングランド本土のみならず、アイルランドや海外植民地で広く参照され、後のアングリカン・コミュニオン形成に持続的影響を及ぼした。16〜17世紀には礼拝様式と教義解釈をめぐり、国内で緊張も生んだ。より厳格な改革を志向するピューリタンや長老派(プレスビテリアン)は、礼拝・統治の簡素化を主張し、議会や教会内で論争を引き起こした。一方、エリザベス朝の妥協案は、国家の一体性を重視する統一法と連動し、表向きの一致と内面の多様性を併存させる枠組みを提示した。
時代背景と主要人物
信仰箇条の成立には、ヘンリー8世の修道院政策や教皇権離脱、エドワード6世期の改革加速、メアリ1世の復古、エリザベス1世の定着という連続がある。とくにエドワード6世の治下で生まれ、メアリ1世で途絶し、エリザベス1世で整序されたという推移は、イギリス宗教改革の力学を象徴している。政治・外交・財政・社会統合の要請が教理整序を後押しし、国家と教会の相互規定を強めた点に特徴がある。
語と概念の注意
日本語では「三十九箇条」「三十九信条」とも表記されるが、歴史的文脈では39箇条の確定以前の42箇条と区別する必要がある。また、改革派の「信仰告白」と同列視されやすいが、信仰箇条は国教会の法的・制度的枠組みに組み込まれた規範文書であり、その運用は礼拝書・教会法と不可分である。これらの相互関係を理解することで、文言の簡潔さの背後にある統治思想と実践的意図がより鮮明になる。
関連:一般祈祷書/首長法/統一法/イギリス宗教改革/エリザベス1世/メアリ1世/エドワード6世/ピューリタン