エリザベス1世
エリザベス1世(1533-1603)は、テューダー朝第5代の君主であり、1558年から1603年まで在位した。父はヘンリ8世、母はアン・ブーリンである。姉のメアリ1世の死去後に即位し、宗教対立と財政・外交上の難題を抱える王国を引き継いだ。1559年の宗教和解により王権の首位を回復し、国教体制を整備して内戦化を回避した。対外的にはスペインやフランスとの駆け引きを続け、1588年にスペインの無敵艦隊を撃破して海上覇権への道を開いた。晩年には東インド会社を創設し、海外進出の制度的基盤を整えた。この治世は「エリザベス朝」と呼ばれ、政治的安定と文化的繁栄を特徴とする時代として記憶される。
生い立ちと即位
エリザベス1世はアン・ブーリンの娘として誕生し、母の刑死と王宮政治の動揺の中で幼少期を過ごした。異母弟エドワード6世の治世には新教的教育を受け、姉メアリ1世の時代には一時的に投獄されるなど政治的危機に直面した。1558年の即位後、彼女は内外の争点を緩和しつつ王権の安定化を最優先課題とした。
宗教政策と「中道主義」
エリザベス1世の宗教政策は、急進的改革と旧教的回帰の双方を抑制する中道的和解である。1559年の宗教和解は、王を教会の首位とする体制を復活させる首長法と、統一礼拝を定める一般祈祷書の採用を柱とした。これによりイギリス国教会の枠組みが確立し、イギリス宗教改革は制度的に定着した。体制内には多様な信仰幅を許容したが、過激派のピューリタンには議会や監督制を通じて規律を維持し、内乱を回避した。
対外関係とスペイン無敵艦隊
外交ではフランス・スペイン・ネーデルラント情勢を巧みに利用して均衡を図った。とりわけスペインとは宗教・通商・君主権をめぐる対立が深刻化し、1588年のアルマダ来寇に至った。海軍整備と私掠許可の活用によりイングランドはこれを撃退し、海上作戦での機動と補給で優位に立った。この勝利は国際的威信を高め、以後の大西洋進出の心理的・軍事的基盤を与えた。
経済政策と海上進出
エリザベス1世は財政規律の回復と通商振興を両立させ、関税・特許・独占権を梃子に交易圏を拡張した。ロンドン商人のネットワークを背景に交易会社を育成し、1600年に東インド会社を勅許してアジア貿易への参入路を確保した。北海・バルトから大西洋に至る航路は質的に転換し、国家と商業資本の協働が定着した。
政治運営と王権のイメージ戦略
宮内と枢密院を核に合議を重視し、バーリーやロバート・セシルらの官僚的手腕を活用した。議会とは税制と宗教の枠組みで緊張をはらみつつ、妥協と管理により枠内に収めた。進発(プログレス)や肖像画、儀礼を通じて「処女王」「グロリアーナ」という象徴を構築し、王権の正統性と超越性を視覚化した点もこの治世の特徴である。
文化とエリザベス朝
都市経済の成長と印刷・劇場文化の発展は、文学・演劇の黄金期を生んだ。William Shakespeare、Christopher Marlowe、Edmund Spenserらが活躍し、宮廷詩・年代記・地誌・航海記が相次いで刊行された。宮廷・都市・教会の三つの文化圏が相互に刺激しつつ、英語表現の豊富化とナショナル・アイデンティティの形成が進展した。
後継と歴史的評価
エリザベス1世は生涯独身を貫き、1603年に崩御して王位はスコットランド王が継承し、イングランドとスコットランドの同君連合が成立した。宗教的多元性を包含する統治枠組み、海上国家への転換、文化的創造力の爆発という三点で長期的遺産を残し、近世イングランドの方向性を決定づけたと評価される。
補足:宗教制度の定着
宗教和解は、王権の制度化・監督制の再編・統一礼拝の運用という三層で支えられた。教会統治は地方エリートの協力を得て運営され、説教・裁判・教育を通じて規律が普及した。他方で体制批判は継続し、議会や出版空間で議論が交錯したが、制度の弾力性が大規模な暴力的対立を回避した点にこの和解の持久力があった。