ヘンリ8世|離婚と首長法でイングランド再編

ヘンリ8世

ヘンリ8世(在位1509-1547)は、イングランドのテューダー朝第2代国王であり、王権強化と宗教改革を通じて国家の枠組みを作り替えた統治者である。王妃との婚姻問題からローマ教皇庁と決裂し、国王至上の原理に基づく国教会体制を樹立したこと、修道院解散による土地・財政の再編、対外戦争と外交による勢力均衡政策、そして継承問題をめぐる宮廷政治の変転は、のちのエリザベス1世期の安定と海洋進出の前提を形づくった。

即位と初期統治

若年で即位したヘンリは騎士道と人文主義の理想を併せ持つ教養君主で、音楽や学問にも通じた。初期には父ヘンリ7世から継いだ財政基盤を背景に、対仏戦争や宮廷儀礼の壮麗化に注力した。だが男子継承者の不在が次第に政治と宗教の核心をなす問題となる。テューダー朝の安定を優先した王は、王妃カタリナとの婚姻無効を求めて教皇に働きかけたが、ハプスブルク家の影響もあって認められず、やがてイングランド独自の宗教体制へと舵を切った。関連事項としてテューダー朝イギリスの王権の展開が重要である。

首長法と国教会体制

1534年の首長法により、国王はイングランド教会の「唯一至上首長」とされた。これにより教皇権からの離脱が制度化され、宗教裁判・教会任命・教会財産の管理が王権の監督下に置かれた。首長法は議会立法を通じて王権の正統性を国内的に組み立てた点で画期的であり、イングランド特有の宗教改革の性格を決定づけた。思想と制度の背景として宗教改革、大陸側の潮流としてルターカルヴァンの動向も参照される。

修道院解散と社会経済

1536年以降の修道院解散は、王権が教会財産を没収・売却し、王領拡大と財政確保を図った一大事業である。多くの土地がジェントリや都市エリートへ移転し、地方支配層の再編が進んだ。慈善や救貧を担っていた修道院の消滅は社会政策の空白をもたらし、治安・救貧の制度化を促した。教会芸術や信心業も打撃を受け、宗教文化の景観は一変した。この変化は、のちに国教会の祈祷書整備や信仰実践の標準化へと連なる。

宗教政策の揺れと六信条法

国王至上は確立したが、教義面では伝統的信仰を重視する姿勢も残り、1539年の六信条法は聖体変化説など中世的教義を再確認した。すなわち、イングランド宗教改革は一挙にプロテスタント化したのではなく、王権の利害に応じて振幅した。異端取り締まりは継続し、王権に抵抗した学者や聖職者は処罰された。人文学者トマス・モアの殉教は象徴的であり、思想と良心、主権と信仰の境界を問う事件として記憶される(トマス・モア)。

外交と勢力均衡

ヘンリは対仏・対ハプスブルク間で同盟と対立を使い分け、海峡圏と低地地方の勢力均衡を図った。軍事行動は財政負担を増したが、租税・関税・教会財産の動員で賄われた。スコットランドやアイルランドへの関与も強まり、イングランドの島内秩序形成と対外関係が結びついていく。外交の不安定は国内統合の必要性を逆説的に高め、宗教と王権の一体化を正当化する装置として機能した。

婚姻と継承

王は6度の婚姻を通じて男子継承を追求した。婚姻は単なる私事ではなく、外交・宗教・派閥均衡を左右する国家事であった。王妃アン・ブーリンとの婚姻はローマ離脱の転機となり、その娘エリザベスはのちに偉大な治世を築く(アン・ブーリン、エリザベス1世、メアリー1世)。

  • カタリナ・オブ・アラゴン―婚姻無効
  • アン・ブーリン―処刑
  • ジェーン・シーモア―エドワード6世出産後に死去
  • アン・オブ・クレーヴズ―婚姻無効
  • キャサリン・ハワード―処刑
  • キャサリン・パー―存命のまま王死去

文化と宮廷

宮廷は音楽・建築・人文学が栄え、王自ら楽曲を作るなどルネサンス的趣味を示した。壮麗な儀礼は王権の神秘と威光を演出し、政治操作の舞台ともなった。印刷術の普及と英語聖書の流布は、信仰と識字の地平を広げ、議会と世論の関係にも長期的影響を及ぼした。宗教規範の標準化は地方共同体の慣習を再編し、国民的教会の枠組みを浸透させた(プロテスタントカトリック)。

歴史的意義

ヘンリ8世の宗教改革は、王権を法と制度の秩序へ接続し、議会・財政・地方支配層を統合する装置として機能した。ローマ離脱は教義革命というより統治革新であり、教会財産の再分配は所有と権力の版図を描き替えた。ゆえに彼の治世は、のちの海洋進出と国家形成の基盤となり、エリザベス期の宗教和約と大西洋世界の展開を準備したのである。英国内の宗派対立は残存したが、首長原理の確立と制度の持続性は、イングランド史における決定的転回点として評価される。