任那|古代日本(倭国)が築いた朝鮮・中国への拠点

任那

任那は4世紀ごろ、朝鮮半島南部の弁韓に形成された小国家連合である。加羅(加耶)とも称し、は任那を通じて、朝鮮半島と交渉をもった。562年、新羅に滅ぼされた。

目次

倭と朝鮮

は早期から朝鮮半島を通じて大陸と交渉をもち、の時代の史書にはの名が記されている。3世紀の史書には邪馬台国の記事も現れる。4世紀末以降、大和朝廷が日本の統一をすすめると、任那(加羅)をおいて朝鮮半島南部にも進出した。

大陸の文化

は、朝鮮半島の国々とともに各国の諸王朝と通交し、文化の輸入に努め、国力強化や地位の向上を図った。漢字や儒教・仏教がある。(日本)からの使いが東晋や宋などに派遣され、朝鮮半島諸国との関係を有利に導こうと努力したことは、『晋書』『宋書』などの記載されている。

任那の滅亡

562年、任那は滅び(562)、日本は朝鮮・大陸への拠点を失った。

加羅

加羅(加耶)とは任那の別称である。『魏志倭人伝』式会など『三国志』の中の『魏書』東夷伝倭人条の俗称で、3世紀の日本に関する記述が残されている。

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