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三反五反運動
三反五反運動とは、中華人民共和国の建国初期にあたる1951年から1952年にかけて展開された政治運動である。党・国家機関の規律引き締めを狙う三反運動と、都市の私営工工業・商業を対象に統制を強める五反運動が連動し、腐敗や不正の摘発、財政の掌握、社会の再編を同時に推し進めた点に特色がある。大衆動員と自己批判、摘発の可視化によって短期的な効果を得る一方、恐怖と密告の拡大、過剰な処罰や経済活動の萎縮も伴った。
成立の背景
1949年の建国後、新政権は戦争による荒廃と財政難、都市経済の不安定、官僚機構の未整備という課題に直面していた。とりわけ国家財政の確立には税収の確保と支出の抑制が不可欠であり、行政内部の腐敗や浪費は政治的にも象徴的な問題とみなされた。また、都市部には旧来の資本家層や商業ネットワークが残り、計画経済への移行を進める上で統制の対象となった。こうした事情のもと、中国共産党は政治運動を通じて統治能力を誇示し、社会の規範と権力関係を再編しようとしたのである。
運動の指導原理には「階級闘争」と「群衆路線」が重ね合わされ、行政の規律問題が階級問題へと接続された。指導者である毛沢東のもと、党の内部浄化と都市経済の掌握が同一の政治課題として位置づけられた。
三反運動の対象と論理
三反運動は主に党・政府・軍の機関や国有部門を舞台とし、汚職、浪費、官僚主義の「三つの反対」を掲げた。焦点は公金や物資の流用、規律違反、職務怠慢などであり、行政の能率化と党の統制を強めることにあった。運動は監査や検査だけでなく、会議・学習・批判を重ねる手続きによって展開され、日常業務の評価が政治的忠誠の確認へと転化しやすかった。
「官僚主義」批判の含意
官僚主義の批判は単なる非効率の指摘にとどまらず、人民から遊離した態度や旧社会的な権威主義を否定する意味を帯びた。これにより、上級機関が下級機関を統制する根拠が拡大し、規律の強化と同時に、失敗や遅延が政治的責任として処理される傾向も生まれた。
五反運動の対象と論理
五反運動は都市の私営企業や商人を中心に、贈収賄、脱税、国家財産の盗用、粗悪工事、国家経済情報の盗取という「五つの反対」を掲げた。名目上は不正取締りであるが、実際には私的資本を国家の枠内に組み込み、価格・供給・融資・取引の主導権を国家側へ移す政治的機能を持った。企業会計の点検や追徴課税、契約の再編によって私企業の自律性が縮小し、国有・公私合営への道筋が整えられていった。
- 贈収賄:官側との癒着を断ち、取引の主導権を国家に集中させる意図があった。
- 脱税:税収の確保と、商業活動の可視化を同時に進めた。
- 盗用・粗悪工事:公共事業の統制を強め、責任追及を通じて企業側の従属を促した。
- 情報の盗取:国家計画や調達情報を国家の専権事項として再定義した。
運動の進め方と社会的波及
三反五反運動は「検査」と「大衆動員」を組み合わせて進められた。単なる行政監査ではなく、職場や地域での集会、掲示、相互批判、自己申告を通じて、違反の発見と処理を加速させた点が特徴である。個人の「自白」や「態度」が処分の軽重に結びつくことも多く、形式的な手続きより政治的な効果が優先された。
都市では商工業者に対する調査が集中的に行われ、取引記録の提出、追徴金の決定、再契約が進んだ。結果として、企業経営者の心理的負担は大きく、資金繰りや投資判断が保守化したとされる。一方で国家側は財源を確保し、物資調達や価格政策の運用余地を広げた。こうした変化は、後の計画経済の定着や公私合営化の進行と連続して理解されることが多い。
政治・経済への影響
政治面では、党・国家機関の規律が再編され、監督体制と報告体系が強化された。これは統治の集中化を促し、以後の政治運動型統治の前例ともなった。経済面では、私的資本の活動範囲が狭まり、都市経済は国家の統制下へ組み込まれていく。後年の大躍進政策や文化大革命とは性格が異なるが、「政治運動による目標達成」という方法論が反復される素地を形成した点は見逃せない。
また、社会心理としては、密告や相互監視の風潮が強まり、職場・地域共同体の関係が緊張したとされる。処分の過重や誤認も起こり得る構造であり、短期的な「成果」と引き換えに、長期的な信頼資本を毀損する側面を伴った。
評価と研究上の論点
三反五反運動の評価は、腐敗抑止や財政再建に寄与したという見方と、過剰動員による人権侵害や経済の萎縮を招いたという見方の両面を含む。研究上は、①建国初期の国家形成における強制と合意の配分、②都市ブルジョワ層の解体過程、③運動が行政合理化として機能した範囲、④運動の経験が後の政治文化に与えた影響、などが主要な論点となる。
なお、この運動は朝鮮戦争期の緊張や資源動員とも時期的に重なり、対外環境と国内統治の相互作用として捉えることもできる。建国初期の政策連鎖としては、土地改革や反右派闘争、政治運動の制度化をめぐる議論とも接続して理解される。
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