ブレーキマスターシリンダ|ペダル力を油圧に変換する中枢

ブレーキマスターシリンダ

ブレーキマスターシリンダは、ペダルから入力される機械力を油圧に変換し、各輪のキャリパやホイールシリンダへ圧力を配分する中枢部品である。リザーバタンクと一体化し、補償ポートとバイパスポートを介してフルードを充填・回収する。現在の自動車では冗長性確保のためタンデム構造が主流であり、前後または対角に分割された回路へ独立した圧力を供給することで、片系障害時でも制動力を維持する設計になっている。真空式ブレーキブースタや電動ブースタと組み合わせることで、踏力を低減しつつ応答性とペダルフィーリングを両立させる。

構造と作動原理

ブレーキマスターシリンダはシリンダ本体、プライマリ/セカンダリの2つのピストン、カップシール、リターンスプリング、補償ポート(コンペンセーションポート)およびバイパスポートから構成される。ペダル操作でピストンが前進するとポートが閉鎖し、密閉容積内のフルード圧が立ち上がる。ペダルを戻すとピストンが復帰し、負圧によってフルードがリザーバから補給され、熱膨張やパッド摩耗による容積変化を吸収する。クリアランスやポート位置が不適切であると、引きずりや圧力残留が発生するため、設計・調整が重要である。

種類(単動・タンデム・コンビネーション)

  • 単動型:単一回路に圧力を供給する旧来型。現行車では安全性の観点から稀である。
  • タンデム型:プライマリとセカンダリが直列配置され、前後分割または対角分割の2系統へ独立圧を出力する主流構造である。
  • コンビネーション:真空ブースタ一体、プロポーショニングバルブ内蔵、ストロークセンサ付など機能統合型である。

分割方式は配管取り回しや制動安定性に影響する。対角分割は片系故障時のヨーモーメント抑制に有利で、前後分割は配管が簡潔でメンテナンス性に優れる。

主要寸法と設計指標

ブレーキマスターシリンダのボア径D、ストロークS、ペダル比i、ブースタ倍力などが圧力Pと流量Qを規定する。簡略的には P = F_pedal × i ÷ (πD^2/4) で表せ、ボア径が大きいほど同一踏力での圧力は低下するが吐出流量は増える。パッドクリアランスやホース膨張を見込んだ有効ストローク、応答遅れを抑えるための残圧機構(ドラム向け)なども設計要点である。ペダルフィールは初期剛性、ブースタ遷移、コンプライアンス管理によって調律される。

材料・製造と耐久性

本体材はアルミ合金ダイカストや鋳鉄が一般的で、内面はホーニングで真円度・表面粗さを確保する。ピストンはスチールやアルミを用い、シールはEPDMなどフルード適合材を採用する。摩耗粉や腐食生成物はシール損傷やスティッキングの原因となるため、清浄度管理と錆対策が重要である。耐久試験では高温・低温・パルス圧・長時間保持などの複合評価を行い、リーク、寸法変化、作動力の推移を確認する。

ブレーキフルードと互換性

フルードは一般にDOT3/DOT4/DOT5.1のグリコール系を用い、吸湿による沸点低下がベーパーロックやフェードを招く。DOT5(シリコーン系)はゴム材や潤滑性、混用性の観点で注意を要し、グリコール系との互換はない。異種油(鉱物油)の混入はシール膨潤やリークを引き起こすため厳禁である。交換周期の順守、清浄容器の使用、空気混入の抑制が信頼性に直結する。

ブースタとの関係とフェイルセーフ

真空ブースタは大気圧差を利用して踏力を倍加し、ドライバビリティを向上させる。ブースタ不作動時でもブレーキマスターシリンダ単体で圧力は生成され、踏力は増大するが制動は可能である。電動ブースタやブレーキ・バイ・ワイヤではストロークシミュレータやアキュムレータを併用し、回生協調や踏み応えの一貫性を確保する。

ABS/ESCとの統合

ブレーキマスターシリンダの出圧はABS/ESCモジュレータに入力され、アイソレーションバルブやリターンポンプにより各輪圧が微細に制御される。モジュレータの容積変化はペダル反力に影響するため、マスター側のコンプライアンスやポート設計で違和感を抑える。現行車では回生ブレーキとの協調により、低μ路でも目標減速度とペダルフィールの整合を図る設計が求められる。

故障症状と診断の要点

  • 内部リーク:踏み込み保持でペダルが徐々に沈む(じわ落ち)。
  • 外部漏れ:ダストブーツ内の湿りやフルード跡、塗装の溶解。
  • エア噛み:ペダルがスポンジー、制動距離の悪化。
  • リターン不良:引きずり、発熱、パッド偏摩耗。

点検ではリザーバ液面、補償ポート詰まり、ペダル遊び(フリープレイ)を確認する。エア抜きは順序に従い実施し、マスター単体のベンチブリーディングを行うと効率的である。異常時はキットでのシール交換かASSY交換を選択する。

保守・交換時の留意点

分解時は異物混入防止のため清浄エリアで作業し、金属工具のエッジで内壁を傷つけない。組立時は指定フルードで湿潤させ、トルクと締結順序を守る。配管接続後は漏れとエア混入の再確認を行い、試験路で直進制動・片効き・復帰性を評価する。再使用不可部品の識別や環境負荷物質の適正処理も重要である。

回路分割と配圧チューニング

前後分割ではプロポーショニングバルブにより後輪圧を漸減させ、荷重移動時の後輪ロックを防ぐ。対角分割では配管長や弾性の左右差を抑え、ハンドル流れを最小化する。マスターのボア径選定は初期制動の立ち上がりとペダルストロークの妥協点を探る作業である。

用語と設計メモ

補償ポート閉鎖タイミング、残圧弁設定、コンプライアンス管理、スティックスリップ抑制、NVH低減はブレーキマスターシリンダの設計品質を左右する。生産ではリークテスト(ヘリウム/圧空)、機能検査(流量・圧力・保持)を行い、トレーサビリティで市場品質を担保する。