フランスの参戦
フランスの参戦とは、18世紀後半のアメリカ独立戦争において、フランス王国がイギリスに対抗してアメリカ側を正式に支援し、海軍・陸軍を派遣して戦争に参加した出来事である。1778年の仏米同盟締結を契機として戦争は大西洋世界全体に拡大し、イギリスは複数戦線を抱えることになった。この結果、イギリス本国は北米植民地に十分な兵力を集中できず、アメリカ側の独立達成に大きく寄与した。一方で、フランスは莫大な戦費負担を背負い、のちの財政危機とフランス革命の遠因をも形づくることになった。
七年戦争後の対英復讐と参戦の動機
フランスの対英政策の背景には、七年戦争と呼ばれる世界規模戦争での敗北があった。七年戦争においてフランスはカナダやインドでの拠点を失い、海洋帝国としての地位を大きく低下させた。ルイ16世の政府にとって、イギリスの植民地支配を弱体化させることは国家的な悲願であり、北米植民地で勃発したアメリカ独立戦争は、イギリスに「復讐」し失地を回復する好機とみなされた。さらに、自由や人民主権を唱えるアメリカ独立宣言の理念は、啓蒙思想に影響を受けたフランスの一部知識人にも共感を呼び、政治的・思想的な支持も参戦の追い風となった。
サラトガの戦いと外交交渉の進展
当初フランスは、中立を装いつつ秘密裏に武器や資金をアメリカ側に供給し、イギリスとの全面戦争を避けていた。しかし1777年のサラトガの戦いで、アメリカ軍がイギリス軍に大勝したことで情勢は変化する。この勝利によってアメリカ側の軍事的潜在力が示され、フランス宮廷はアメリカ側が単なる一時的反乱勢力ではなく、独立国家として成立しうると判断した。また、アメリカとイギリスが単独講和に踏み切ればフランスの影響力が失われるとの懸念から、フランスは独立派の代表者が集まる大陸会議や、フランスに滞在していたアメリカ側使節との交渉を加速させた。
仏米通商条約・同盟条約と戦争の国際化
1778年、フランスはアメリカ側とのあいだで通商条約と同盟条約を締結し、ここで正式にフランスの参戦が決定された。通商条約は、フランスと新国家アメリカ合衆国との間に最恵国待遇の関係を定め、同盟条約はイギリスに対する共同戦争と単独講和の禁止を規定した。この条約によってフランスはアメリカ独立を公式に承認し、イギリスとの全面戦争に踏み切ることになった。以後、戦争はカリブ海やインド洋にも広がり、スペインやオランダも参戦することで大西洋世界を巻き込む国際戦争へと発展する。アメリカ側にとって、この国際的支援は長期戦を戦い抜くための決定的要因となった。
軍事支援とワシントン軍への影響
フランスは条約締結後、海軍艦隊と遠征軍を派遣し、ジョージ・ワシントン率いる大陸軍を直接支援した。フランス海軍はイギリス海軍とカリブ海や北米沿岸で交戦し、制海権をめぐる戦いでイギリス軍の兵力集中を妨げた。また、ロシャンボー将軍をはじめとするフランス陸軍部隊は、アメリカ軍と協力して作戦を展開し、決定的なヨークタウン包囲戦で重要な役割を果たした。これらの支援は、植民地側の兵站や士気を大きく補強し、独立戦争序盤に劣勢であった大陸軍の状況を一変させた。こうした軍事支援の拠点には、独立運動の中心都市フィラデルフィアなども含まれており、フランス軍の存在は現地社会に強い印象を残した。
思想的連関とフランス国内への影響
フランスの参戦は軍事・外交面だけでなく、政治思想や社会にも影響を与えた。アメリカ側の独立運動を支えたコモン=センスやトマス=ペインの著作、そしてアメリカ独立宣言に示された「人民の権利」や「抵抗権」の思想は、フランスの啓蒙思想と共鳴しながら知識人や一部貴族のあいだに広まった。アメリカ独立運動を現地で経験したラファイエット侯爵らは、その体験をフランス社会に持ち帰り、王権批判や改革要求の高まりに影響を与えることになった。こうした思想的交流は、のちのフランス革命や、近代的な「共和国」概念の形成にもつながると評価されている。
フランス財政と参戦の長期的帰結
しかし、フランスの参戦はフランス王国の財政を一層悪化させる結果ともなった。フランス政府はアメリカ側への軍事援助や艦隊建造、遠征軍維持のために多額の借金を重ね、すでに逼迫していた財政は限界に近づいた。戦後、アメリカ側は自立した共和国の建設に向かい、連合体制を定めたアメリカ連合規約や新憲法の制定を経て、近代国家アメリカ合衆国として歩み始める。その過程には、ジェファーソンら共和主義者の思想も大きな役割を果たしたが、フランスでは戦費負担が税制改革と身分制の矛盾を浮き彫りにし、やがてフランス革命へとつながる社会危機を招いた。このように、アメリカ独立を成功に導いたフランスの行動は、自国の旧体制を揺さぶる契機ともなり、18世紀後半の大西洋世界全体の変動を象徴する出来事であった。