パナマ
パナマは、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸を結ぶ細長い地峡に位置する共和国であり、世界交通の要衝として知られている。特にパナ…と書くと誤りであり、国名は正しくパナマである。現在のパナマは、地理的条件を生かした海上輸送・金融・サービス産業を中心とする国家であると同時に、中南米におけるアメリカの影響力や国際政治の変化を映す事例としても重要である。
地理と社会
パナマは西でコスタリカ、東でコロンビアと接し、北はカリブ海、南は太平洋に面している。この地峡部を横断するパナマ運河によって、大西洋と太平洋を結ぶ最短航路が形成され、世界貿易に大きな影響を与えてきた。首都パナマ市には高層ビルが建ち並び、運河関連産業や金融業、観光業の拠点となっている。一方で、先住民、アフリカ系住民、アジア系移民など多様な人々からなる多民族社会でもあり、その文化はラテンアメリカの要素と海運を通じた国際性が混ざり合っている。
植民地時代とコロンビアからの分離
16世紀以降、現在のパナマ地域はスペイン帝国に征服され、南米ペルー方面からの銀や金がヨーロッパへ向かう経路上の中継地として発展した。植民地期には都市ポルトベーロやパナマ市が交易の中心として栄えたが、同時に欧州列強の海賊や私掠船の攻撃にもさらされた。19世紀初頭、ラテンアメリカ独立運動の高まりのなかでパナマはスペインからの独立を宣言し、大コロンビア共和国の一部となる。その後、大コロンビアの解体を経てもパナマはコロンビア領として残ったが、中央政府との対立や運河建設をめぐる利害から独立要求が高まり、1903年、アメリカの支援のもとでコロンビアから分離し独立国家となった。この過程は、列強による帝国主義的介入の典型例とみなされる。
パナマ運河建設とアメリカ合衆国の影響
地峡横断運河の構想自体は、19世紀後半にフランス人レセップスらによって試みられたが、技術的困難と熱帯病により挫折した。その後、海軍力と世界貿易で優位に立とうとするアメリカ合衆国が計画を引き継ぎ、独立直後のパナマ政府と条約を結んで「パナマ運河地帯」を事実上のアメリカ支配下に置いた。1914年に開通したパナマ運河は、大西洋と太平洋を結ぶ戦略ルートとして第一次世界大戦・第二次世界大戦を通じて重要性を増し、アメリカ海軍の世界展開を支える基盤となった。一方で、運河地帯が外国の強い支配下にあることはパナマの主権を制限し、国民の不満とナショナリズムを刺激した。
独裁政権とアメリカ軍の侵攻
20世紀後半のパナマ政治は、軍部と文民政権が複雑に交錯した。1968年のクーデタで実権を握ったトリホス将軍は、ナショナリズムを掲げてパナマ運河の主権回復を追求し、1977年にカーター米大統領とのあいだで将来の運河返還を定める条約を結んだ。トリホス死後、軍情報部出身のノリエガ将軍が台頭し、麻薬取引や権威主義的な統治を行ったため、対米関係は急速に悪化する。1989年、アメリカは自国市民の保護や民主主義回復を名目としてパナマに軍事侵攻を行い、ノリエガ政権を崩壊させた。この出来事は、冷戦終結期におけるアメリカの対外介入の象徴的事例とも評される。
パナマ運河返還と現代のパナマ
1999年、前述の条約に基づきパナマ運河は完全にパナマ政府に移管された。以後、運河は同国最大の国家資産として運営され、拡張工事による大型船の通行拡大などで収入増を図っている。今日のパナマ経済は、運河通行料に加え、コロン自由貿易地区を中心とする再輸出貿易、国際金融センターとしての機能など、サービス業が大きな比重を占める。国際的には「オフショア金融」や租税回避地として批判を受ける側面もあるが、同時にパナマは地理的条件を活かして世界経済と地域社会を結ぶ拠点としての役割を果たし続けている。