パスパ文字|元朝公用の統一表音文字

パスパ文字

パスパ文字は、13世紀後半に元のフビライがチベット僧パスパ(八思巴)に命じて制定した表音文字である。チベット文字系に由来する音節文字(アブギダ)的性格を持ちながら、モンゴルの慣行に合わせて縦書きで用いる点に特色がある。制度上は「国字」として公布され、モンゴル語・漢語・チベット語など帝国内の複数言語を一体的に表記する統治ツールとされた。史料上は詔勅・璽印・碑文・銭貨・牌符(パイザ)に広く見え、帝国的な情報運用の可視的標識として機能した。ただし漢字文化圏の既存実務は強固で、民間レベルでの浸透は限定的であった。背景にはモンゴルの大帝国の拡張と、宗教権威をもつラマ僧団の活用、ならびに多民族支配を統合する言語政策がある。

成立と歴史的背景

制定は1269年頃とされ、フビライは多言語の発音を統一記述できる新文字を求めた。創案者パスパはサキャ派の高僧で、宗教・政治双方の橋渡し役として重用された。公布後、中央官衙の文書・勅命・印文に採用され、諸地域の官人や駅逓(ジャムチ)網にも波及した。これにより、移動帝国の広域支配に必要な人名・地名・称号・官職の音価表記が標準化され、元の遠征活動や冊封・朝貢の儀礼における正統性の演出にも資した。他方、モンゴル旧来のウイグル系縦書きと漢字実務は併存し、三層的な書記環境が生まれた。

文字構造と表記原理

パスパ文字はチベット文字を再設計した音節文字で、子音字に内在母音aをもち、他の母音は付加要素で示す。字母は直線的・方形的に整えられ、縦書き時に連綴しやすい。語頭・語中で字形がわずかに異なるものがあり、合字や黙字も設計された。漢語の入声やモンゴル語の有声・無声対立、チベット語の有気・無気など、多言語の音韻写し分けを意図した設計である。

  • 書写方向:縦書きを基本(上から下へ、行送りは左から右へ)
  • 体系:子音主体のアブギダで、母音は記号的に標示
  • 用途:人名・地名・称号・官職・貨幣・璽印・碑文

使用領域と史料の具体例

実例は皇帝璽印の陰文、官印や度量衡の刻字、詔令の欄外や併記、寺院・橋梁の碑文、貨幣銘、そして駅逓証明・通行札に及ぶ。とりわけ国璽・金印の文言は権威表示として効果が大きく、遠隔地の支配層に帝国秩序を可視化した。ベトナムやビルマ方面への対外活動にも関連し、周縁地域に残る碑文はモンゴル帝国の文化的波及を物証する(関連:タタールのくびきシンガサリ朝パガン朝)。

受容の限界と衰退

パスパ文字は宮廷・官庁・儀礼の領域で重用されたが、漢字・モンゴル旧字・チベット字という既存エコシステムの厚みを崩せなかった。実務の担い手・教育体系・出版基盤が漢字とウイグル系縦書きに偏在し、新文字の普及インセンティブが弱かったためである。元の滅亡後は、モンゴル世界では旧来の縦書きへ復帰し、漢地では漢字が復位した。以降、パスパ文字は印章・儀礼銘や一部辺境文書の領域で散発的に残存するにとどまる。

周辺諸文字・文化への影響

方形的で直線的な字様は、帝国的権威表象の書体として記憶された。朝鮮のハングル創製(15世紀)との関係については、字画構成や音韻分析の観念的近接を指摘する見解がある一方、直接の系譜性に疑義を呈する議論も根強い。確実なのは、ユーラシアの王権が文字・書体を統治技術として再設計する実例を示し、可汗号や帝国儀礼の制度と並行して、記号体系を政治権威に接続した点である。比較のために、他地域の制度文字や方形字(タングート)や、別系統のアルファベット(キリル文字)を参照すると位置づけが明瞭になる。

研究史と読解の要点

解読はチベット語・モンゴル語・漢語の対照に基づき進展し、語頭・語中の交替や連綴規則、方言差の写し分けが鍵となる。実物資料の摩耗・誤刻・混用には留意を要する。史料学的には、文脈(符号の隣接言語・用途・素材)を確定し、音価復元と称号・年号・地名の同定を往還させる作業が中心となる。帝国の交通・儀礼と連関させることで、書記体系の政治的機能がより鮮明に読み解ける。

名称・呼称と転写

名称は創案者の名に由来し、英語では「Phags-pa」と綴る。漢語では「八思巴字」と称される。日本語の一般的呼称はパスパ文字であり、学術出版物でも広く定着している。呼称の表記揺れ(パグスパ等)はあるが、帝国文書における機能と系統は明確である。

Unicodeとフォント環境

パスパ文字はUnicodeの「Phags-pa」ブロック(U+A840–A87F)に収録され、一般的なOS・フォントで表示できる。歴史的表記の再現には縦書き対応と合字処理が重要で、版面設計では縦中横や約物位置の調整が必要となる。学術論文・データベース構築の際は、コードポイントと音価・語源言語・史料出典を紐づけて管理すると検索性が高まる。

帝国秩序と文字政策の文脈

パスパ文字は、軍事・交通・宗教を結合して秩序を編成した元の統治実験の一環である。宗教権威を媒介に制度を設計し、文字によって臣属と通行を規律する発想は、北方世界の政治文化にも通底する(参照:北方民族大乗仏教集史)。この文脈で見ると、文字は記録手段にとどまらず、帝国的コミュニケーションを統制する装置であったことが理解できる。