集史|イルハン朝が編纂した世界史

集史

集史は、14世紀初頭のイル=ハン国で宰相ラシード=アッディーンが編纂した世界通史である。モンゴル帝国の正史叙述を中核に、イスラーム以前から同時代に至るユーラシア各地の歴史・系譜・地理を統合し、ペルシア語(Persian)を主としつつアラビア語(Arabic)やモンゴル語史料にも依拠する。国家主導で書写・頒布された点、図像を備えた豪華写本の伝存、同時代人の証言や宮廷アーカイブの活用など、方法・装丁・流通のいずれにおいても画期的であった。

成立背景

イル=ハン国のガザン=ハンは政教改革を進め、帝国の記憶を制度化するため歴史編纂を命じた。宰相ラシード=アッディーンはタブリーズのラブ=エ・ラシディー(Rabʿ-e Rashidi)に学術・写本工房複合体を整備し、学僧・書記・画工・翻訳者を組織して集史を進めた。政治的後援はオルジェイトゥ期にも継続し、王権の正統化と多民族支配の知的基盤を担ったのである。

構成と内容

集史は大きく二〜三部構成と理解される。第一部はモンゴル諸汗の系譜と事績で、チンギス・ハン以来の征服と分封、各ウルスの関係、法(ヤサ)や軍制が叙述される。第二部は「諸民族史」で、アダムから各古代王朝、イラン・アラブ・トルコ・中国(元)・インドなどの歴史が配列され、王朝ごとに起源・年譜・統治者像が整理される。第三部に相当する地理志・統計的記載では、都市・道路・税制・産品が地誌的にまとめられ、行政実務に資する情報群が提示される。

資料と方法

編纂には宮廷文書庫、遊牧貴族の口述、遠隔地からもたらされた書籍の翻訳が用いられた。モンゴル語・漢語由来の固有名をペルシア語表記に移植する際の訓点、年次ごとの校訂・追補、相互照合の痕跡が確認でき、国家的知の集約装置として機能した。一定部数の公用写本が作成され諸地方に配布されたことも、史料伝播の速さを裏づける。

図像と写本

集史の写本は細密画で知られ、タブリーズ画派の彩色に中国風の山水・衣紋法が融合する。狩猟・戦闘・儀礼・都市景観などが連続図解化され、テキストの叙述を視覚的に補強した。現存断簡はイスタンブルのトプカプ宮殿博物館やフランス国立図書館、エディンバラ大学図書館などに伝わり、同書の制作規模と国際的流通を物語る。

歴史的意義

本書はユーラシア規模の通史として、地域ごとの出来事を同時代的な視野で接続した点に最大の独創がある。モンゴル帝国の制度・外交・交易路に関する一次的記述が豊富で、税制・度量衡・宗教政策の詳細は経済史・制度史の基礎資料である。同時に、他者像の描写や地理情報は文化接触史・比較文明論にも有効で、東西往還のダイナミズムを具体的に再構成できる。

受容と評価

集史は後代のペルシア語史書に広く参照され、ミールフワーンド『ローザト・サファー』やフワンドミール『ハバイブ・アル=シヤル』などの叙述骨格に影響を与えた。オスマン朝・ティムール朝圏でも引用が進み、王朝正統論や帝国地誌の素材庫として機能した。近代以降は東洋学の枢要典籍として校訂・翻訳が重ねられ、モンゴル研究・イスラーム世界史研究の双方を架橋する古典となっている。

研究史とテキスト

近現代の校訂は複数系統に分かれ、本文の層位・重複・語形差が議論されてきた。英訳(English translation)や仏訳(French translation)の進展で比較研究が容易となり、語彙対応・王名表の異同、図像の制作工程(下絵・彩色の分業)など、テキスト批判と美術史の交差領域が展開している。ラシード=アッディーンの筆録と編纂グループの共同作業をどう区分するかも、現在なお重要な論点である。

用語と表記

原題はJāmiʿ al-tawārīkh(「歴史の総合」)で、一般にペルシア語文体で記される。日本語では集史の訳名が定着し、章名・系譜表・図像キャプションの訳し分けに際し、モンゴル語・漢語・テュルク語の転写を併記する方法が採られることが多い。

関連する人物・政体

  • ラシード=アッディーン(宰相・編纂総責任)
  • ガザン=ハン(編纂開始の政治的後援者)
  • オルジェイトゥ(事業継続を支えた君主)
  • チンギス・ハン/モンケ/クビライ(第一部の中心人物)
  • イル=ハン国・元・チャガタイ・ジョチ・オルダ諸ウルス(比較枠)

学術的価値の射程

集史は帝国の実務知と普遍史観を接続した稀有の成果である。征服と秩序、遊牧と定住、記録とイメージの三層を併置し、王朝史を超えて交通・交換・翻訳のプロセスを活写した。写本の物質性、文体と語彙の多言語混淆、図像の越境的スタイルはいずれも比較史の素材であり、ユーラシア史研究の基盤典籍として今後も参照され続けるであろう。