ドーズ案
ドーズ案は、第一次世界大戦後のドイツ賠償問題をめぐり、1924年に成立した賠償支払計画である。アメリカの銀行家チャールズ=G=ドーズを中心とする委員会が立案し、過大な賠償負担とインフレに苦しむドイツ経済を安定させることを目的とした。ヴェルサイユ条約で規定された賠償の支払い方法を現実的な水準に見直し、同時にアメリカ資本を導入してドイツ経済の再建を図ろうとした点に特色がある。戦後ヨーロッパの賠償体制と国際金融秩序を再編する試みとして位置づけられる。
背景
第一次大戦後のドイツは、ワイマール共和国として再出発したが、高額な賠償金と財政赤字から深刻なインフレーションに直面した。特に1923年にはフランス首相ポワンカレの強硬策により、賠償不履行を理由としてルール地方の占領が行われ、政府の受動抵抗政策がハイパーインフレを招いた。この状況を収拾するため、外相シュトレーゼマンを中心とする内閣はレンテンマルクを導入して通貨の安定化を図りつつ、賠償条件そのものの再検討を協議する必要に迫られたのである。こうした危機は、連合国側にとっても賠償金回収の不可能性を意識させ、制度の抜本的な見直しを促す要因となった。
内容
ドーズ案は、ドイツの支払能力に応じて賠償額を段階的に増加させる「能力主義」の考え方を導入した点に特徴がある。初年度の支払額を大幅に引き下げ、その後の景気回復に合わせて負担を増やすことで、経済再建と賠償問題の履行を両立させようとしたのである。また、アメリカを中心とする民間貸付によりドイツに長期資本を供給し、それをもとに産業と財政を立て直す構想が盛り込まれた。賠償総額の最終決定を先送りしつつ、まずは支払いスケジュールの現実化と通貨制度の改革を優先した点も重要である。
- ドイツの年間賠償額の削減と分割払い
- アメリカなどからの大規模な民間借款の導入
- ドイツ中央銀行(ライヒスバンク)の再建と国際的管理の強化
- ルール占領地域からの段階的撤兵
実施と影響
1924年にドーズ案が発効すると、アメリカ資本がドイツに大量に流れ込み、重工業や都市インフラへの投資が進んだ。賃金と物価も安定し、いわゆる「ワイマール体制の安定期」と呼ばれる比較的穏やかな時期が訪れた。社会民主党出身の大統領エーベルトや外相シュトレーゼマンらは、この安定を背景に国際協調外交を進め、ロカルノ条約や国際連盟加盟へと道を開いたのである。文化面でも映画や演劇、カバレエなどが栄え、ベルリンは近代都市文化の中心として注目を集めた。一方で、ドイツ経済はアメリカ短期資本への依存を強め、景気後退時には急速に不安定化する危険を抱え込むことになった。
評価
ドーズ案は、短期的にはドイツの通貨と財政を安定させ、フランスとの緊張を和らげるなど一定の成果を挙げた。しかし、賠償総額そのものを根本的に縮減したわけではなく、支払期限も遠く将来に先送りされたにすぎなかった。また、賠償履行がアメリカからの借款に依存する構造は、1929年の世界恐慌とともに一挙に破綻し、後継のヤング案や賠償支払停止へとつながっていく。こうした不安定さは、失業と社会不安を通じてワイマール体制への不信を高め、急進的な政治勢力の台頭を助長したと評価される。したがって、この案は戦後ヨーロッパ秩序を一時的に安定させたが、構造的矛盾を解決しない「暫定的妥協」として理解されることが多い。