ズィンミー|イスラーム支配下の被保護民

ズィンミー

ズィンミー(dhimmi)とは、イスラーム支配下に住む啓典の民などの非ムスリムが、共同体としての宗教実践や財産・生命の保護を得る代わりに一定の義務を負う制度上の身分である。根底には「保護・契約」を意味するズィンマ(dhimma)の観念があり、支配者側は治安維持と信仰の自由を承認し、被保護民は人頭税たるジズヤや土地税の一類型であるハラージュの負担、軍務免除などを通じて社会的な役割を担った。イスラーム帝国ひいては拡大期のアラブ帝国において、都市行政・財政・宗教間関係を調停する枠組みとして機能した点に歴史的意義がある。

語源と概念の成立

ズィンミーの語は「責務・保証」を意味するdhimmaに由来し、被保護当事者は「アフル・アッ=ズィンマ(契約の民)」と総称された。初期イスラーム期から諸地域で結ばれた保護契約の慣行が整理され、法学(fiqh)において体系化されると、対象・税負担・司法参加の範囲などが議論された。後世「ウマル協約」と呼ばれる文書が広く参照されるが、その成立事情や文言の定型性には学術的検討が続いている。

対象と範囲

  • 基本対象はユダヤ教徒・キリスト教徒などの「アフル・アル=キターブ(啓典の民)」である。
  • 一部地域ではサービア人、ゾロアスター教徒などにも拡張された。
  • インド亜大陸では状況に応じてヒンドゥー教徒や仏教徒に準用された事例がある。

適用は一律ではなく、征服・講和・請負徴税など地方条件や政権の方針により幅があった。例えば初期のウマイヤ朝と、都市行政が発達したアッバース朝とでは、実務の運用や税目の仕立てに差異がみられる。

権利と保護

  • 共同体としての礼拝・祭祀・墓地管理など宗教実践の容認。
  • 財産権・契約の保護、治安維持の対象化。
  • 自治的構成(長老・宗教指導者・裁断機能)の承認と行政との連絡役の設置。

こうした保護は契約の継続(安全の保障)を前提とし、旅の安全(アマーン)や居住許可の発給などとも結び付いた。

義務と制限

  • ジズヤの納付(通常は成人男性を基準、扶養弱者は免除されることが多い)。
  • 軍役免除の代替としての財政負担、一定の公的表示(服飾・標識)や武装・騎乗の制限が課される場合。
  • 布教・改宗勧誘の制限、新築礼拝所の規制、公共空間での儀礼表象の自制など。

ただし各条項は地域・時代・政権の安定度に左右され、実務は慣行と交渉により柔軟に調整された。

財政・税制との関係

ズィンミーは財政構造と密接に連動した。都市では人頭税と商業課徴、農村では地租・地代の組合せが基本で、改宗した場合には人頭税が免除される一方、土地にかかる負担は継続するなど、税目ごとの性格差が意識された。非アラブ改宗者(マワーリー)の取り扱いは、被保護民の区分と重なりつつも別の論点として展開した。

ジズヤとハラージュの運用

ハラージュは土地収益への課税であり、耕作主体の宗教にかかわらず課され得た。他方ジズヤは身分的・軍務代替的性格を帯び、免除範囲や税率は講和条件や財政事情を反映した。拡大期のアラブ帝国、制度が成熟するイスラーム帝国の都市財政では、帳簿管理や徴税請負の洗練によって実収が安定化した。

行政と共同体運営

ズィンミー共同体には長老会や宗教裁断が置かれ、婚姻・相続・宗教規範の内部事項は自律的に処理されることが多かった。国家側は治安・租税・対外関係を管掌し、都市の区ごとに居住を配分した。オスマン期には「millet(ミレット)」と総称される制度的表現が広がり、帝国内の多宗教秩序を支えた。

地域と時代の変遷

イベリアのアル=アンダルスでは、商業都市での共住と境界管理が進み、学知交流もみられた。エジプト・シリアのマムルーク期には、軍政と宗教権威の連携のもとで制限策が強まる局面もあった。こうした振幅は、治安・財政・外交環境の変化に敏感な制度であったことを示す。

近代改革と身分解消

近代国家形成の潮流のなかで、オスマンのTanzimat(1839–)とIslahat Fermani(1856)は法的平等を掲げ、宗教身分に基づく差異の縮減を進めた。軍務代替税(bedel-i askeri)による実務の置換などを経て、宗教横断の国民概念が優越し、ズィンミーの法カテゴリーは多くの地域で消散していった。

史料と学術的議論

今日の研究は、規範(法学文献)が描く理想型と、実務(財政台帳・契約書・裁判記録)が示す多様な現実との距離を測り直している。とくに「ウマル協約」の文言固定化、地方契約の交渉余地、都市社会における身分移行や混住のダイナミズムなどは、比較史・文書史料の蓄積によって再評価が進む分野である。ズィンミーは、宗教と国家が交錯する社会統治の歴史的解として理解されるべき概念である。