サータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)|南インドで繁栄した古代王朝の黄金期

サータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)

デカン高原を中心に前1世紀から3世紀頃に栄えたサータヴァーハナ朝は、南北インドの交易路を結節し、政治・宗教・美術の各面で後世に大きな影響を残した王朝である。王権はプラクリット語碑文によりよく知られ、ガウタミープトラ・シャータカルニらの名が見える。成立期にはマウリヤ朝後の地域秩序を引き継ぎ、東西海岸の港湾と内陸の市を結んで商業を発展させた。この王朝はしばしば「アーンドラ族の王朝」とも称され、在地首長や商人団体との結合によって広域支配を実現した点に特色がある。呼称としてのサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝は、史料伝承の差異を反映するものである。

成立と領域

伝承では創業者シムカののち、サータカルニ王がナルマダー川流域からデカン中部へ勢力を拡大したとされる。都は時期によりプラティシュターナ(現パイタン)やアマラーヴァティーなどが挙げられ、ゴーダーヴァリー川・クリシュナ川の大盆地と、西はアラビア海岸、東はコロマンデル海岸に通じる交通の要を押さえた。こうして内陸の農産物・森林資源と海上交易品を結び付ける経済圏が形成されたのである。

政治構造と王権

王号には「サータカルニ」が多く、母系名を付す慣行(例:ガウタミープトラ)が見られる。これは王権正統性において王妃家系の重視を示唆する。地方統治にはマハーラーシャトラ系の在地首長を組み込み、課税・治安・灌漑維持を分掌させた。王権はヤジュニャ(祭祀)の実施や貨幣鋳造、寄進の主宰を通じて可視化され、宗教的威信と実務統治が結合した制度的性格を備えたのである。

主要な王

系譜は断片的ながら、碑文と貨幣史料の継ぎ合わせにより中核期の人物が復元される。

  • シムカ:創業者とされる。
  • サータカルニ1世:初期拡張を担った王と伝わる。
  • ガウタミープトラ・サータカルニ:西方の敵対勢力を撃破し威信を確立。
  • ヴァシシティープトラ・プルミヴィ:沿岸交易の再整備を進めた。
  • ヤジニャ・シュリー・サータカルニ:後期の再興を担った王として知られる。

宗教と文化

王権はヴェーダ的儀礼を尊重しつつも宗教的寛容を示し、バラモン教仏教ジャイナ教が並存した。特に仏教は在家信者や商人の寄進を得て、ストゥーパや石窟伽藍が整備された。アマラーヴァティーの大ストゥーパに見られる物語浮彫は、北西インドのガンダーラ美術と同時代的交流を示唆する一方、柔らかな衣文表現と豊満な人物像という固有の審美を育てた。また北インドのマトゥラー系表現とも対照的に、物語性と装飾密度に特色がある。

経済と対外交易

モンスーンを利用したインド洋交易により、胡椒・綿織物・宝石・象牙などが出荷され、代わって金銀やガラス器、ワインなどが流入した。西海岸の港市は内陸都市と道路網で連結され、東海岸は東南アジア方面とも通じた。貨幣には船の図像や銘文が見られ、海商国家としての自意識がうかがえる。商人団体(シュレーニー)の活動は、市場規律や寄進ネットワークの基盤となった。

ローマ世界との関係

ローマ金貨の流入は王朝期の富の象徴としてしばしば言及される。硬貨出土と港湾遺跡の状況は、地中海との長距離交易が一時的なブームにとどまらず、制度化された商慣行として根づいたことを示す。これにより在地の工芸生産は刺激され、象牙彫刻・半貴石加工・綿織物などの専門分化が進んだ。

美術と建築

アマラーヴァティーのストゥーパ欄楯・トーラナには、ジャータカや仏伝、供養者の行列、蓮華・蔓草文様が精巧に刻まれる。造像面では、身体量感の豊かさと動勢の強さが目立ち、後代の南インド彫刻へ通じる基調を作った。北西のガンダーラがヘレニズム的写実を示すのに対し、サータヴァーハナ期の作品はリズム感ある反復と装飾の充溢を特徴とする。

言語・文字・史料

公用の記録にはプラクリット語が用いられ、ブラーフミー文字で刻された岩壁・石柱・洞窟の寄進銘が多い。ナシクやカールレーの石窟には、王族・官人・商人による僧団への寄進が記され、宗教共同体と経済主体の結節が読み取れる。また仏典運動の広がりは、上座部系の伝承や修行地の形成とも重なり、言語史の観点からはパーリ語圏との接点も論じられる。

対外勢力との抗争と衰退

西方ではサカ系諸勢力と抗争が続き、時に領域を失いながらも反攻に転じる循環を重ねた。内陸の掌握は比較的安定したが、沿岸交易の変動や在地豪族の自立化、王統の分裂が重なり、3世紀初頭までに王朝は衰微した。その後、デカンでは新たな地方王朝が勃興し、地域の政治地図は再編されていく。

歴史的意義

サータヴァーハナ朝は、北インドの帝国的伝統と南方文化圏の活力を媒介し、インド洋交易の定着によって亜大陸を外洋世界へと開いた。王権は宗教的正統と都市経済のダイナミズムを巧みに接続し、美術・貨幣・碑文という多層の史料に痕跡を残した。仏教ジャイナ教の展開、在地首長の統合、港市ネットワークの整備など、一連の営為は後代のインド史に通底する枠組みを準備したのである。